三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

「三国之見龍卸甲(邦題:三国志)」を実況せんとす

(06.44)「常山はここだよ」と得意げに説明する羅平安の地図、常山が長江沿いにある。
 ………。
 まあ、それはそれとして趙雲たちが今いるのは青州らしいです。ってことは、今は官渡の戦いの直前かな?

(08.17)羅平安の地図、ところどころにメモ書きがあるんですけど、洛陽に「董卓が洛陽に進軍し、宦官を誅殺した。兵は五万である(董卓進洛陽、誅宦官。兵五萬也)」とか、常山に「俺たちはここに生まれた。曹操を討ち、漢室を再興する(吾等生於此。征伐討伐曹、匡扶漢室)」とかあるのはともかく、赤壁に「曹操赤壁に駐屯して水軍を訓練した(曹屯赤壁、□練水兵)」とか、長坂に「主公の阿斗を助けた(救得主公□阿斗)」とか明らかに未来のことが書いてある。ガバガバすぎない?

(12.50)よもや曹操の手の者かと思った胡散臭い男は、なんと諸葛亮でした。えらく胡乱で陰気な孔明ですけど。新しすぎる!あと、趙雲が参入した頃は諸葛亮まだいないはずじゃ。

(14.36)味方の勝利を確信し、「次なる戦地に指南に行かねば」と言って去る諸葛亮。戦場を転々として軍略を授ける軍師って、なんか墨家みたいです。

(18.00)これが長坂坡の戦いだったってことがやっと明かされます。全然官渡の戦いじゃなかった。青州で戦ってた話はどうした。時代考証は投げ捨てるものではない…

(18.00)本作のカギになる鳳鳴山が登場。『演義』では、北伐で趙雲が韓徳らを破ったところです。つまり長坂とは全然違うところです。考証は投げ捨てるもの。

(18.04)本作のカギとなる仏像が登場。でも三国時代には仏教はまだそんなに広まってないはず。考証など趙子龍の前にはゴミクズ同然だ!

(22.40)趙雲がかっこよすぎです。長柄武器のアクションはやっぱいいですね。たまんないです。趙雲を兄弟と認める関羽張飛がまたかっこいい。短い登場ですけど、しっかり印象的なキャラクターになってます。

(32.26)ここで青詇が出てくるのかー。

(34.25)影絵の実演は初めて見ました。

(37.07)光のあたり具合のせいか、ちょいちょいアンディ・ラウミスター鈴井貴之に見える。

(38.35)エンディングのクレジットによると、この女の子は軟児というそうです。たぶん民間伝承に由来する趙雲の妻、孫軟児が元ネタです。

(41.48)劉備の即位や五虎大将任命の流れは正史とも演義とも微妙に違いますけど、かっこよくまとまってるからいい感じです。考証はおいてきた。あいつはこの戦いについてこれない。

(42.37)すごい劉禅っぽい劉禅劉禅ってどれも同じ人が演じてるんじゃないかってくらい、いつもそっくりです。

(44.33)趙雲のかっこよさと言ったら。いや趙雲だけでなく、この作品ではみんなすごくいい老け方をしてます。

(46.51)諸葛亮趙雲に秘策入りの小袋を授けるのは、『演義』第五十三回がモチーフですね。劉備の嫁取りに同行する趙雲に授け、見事にその窮地を救ったあれです。

(54.40)やけにヒゲが大胆な韓徳が登場。韓徳は、『演義』では北伐で四人の息子ともども趙雲に蹴散らされた人です。かませ犬です。ですが、この韓徳がやたらとかっこいい。なにせ演じるのは「三国志 three kingdom」で関羽を演じた于榮光その人。いやしかし、関羽の時よりもずっとかっこいい。

(56.35)四兄弟を倒すシーンはけっこう『演義』に忠実です。最期の一人(たぶん次男の韓瑶)だけが絞め殺されてるのも、『演義』で韓瑶だけが生け捕りにされたことをモチーフにしてるんだと思います。

(57.25)やたら荒々しい趙雲の副官、なんと訒芝でした。魏延あたりかなと思ってたんですけど。いやたしかに、北伐での趙雲の副官と言えば当然訒芝ですよね。でも全然気づかなかった。この人が孫権と交渉するところが全然想像できない。

(59.08)何の因果か、ふたたび鳳鳴山に戻ってきてしまった趙雲。本作の趙雲にとって鳳鳴山ははじまりの地。出発の地にふたたび戻ってきた、ということを強調するために、あえて冒頭の長坂坡の戦いで鳳鳴山を出したわけですね。考証?犬の餌にでもしろ。

(60.25)授けられた秘策が、まさか趙雲を囮にするためのものだったなんて。もちろん、正史でも『演義』でもこの時の趙雲は陽動担当なので、本作の展開もそれをなぞるものです。でもさっき書いたように、諸葛亮の秘策袋の元ネタは趙雲の窮地を救うためのものでしたから、まさか趙雲を騙してたとは想像してなくて。一瞬展開が理解できないくらいびっくりしました。趙雲だけでなく視聴者まで裏切るとは、諸葛亮……やはり天才か。

(61.53)冒頭のシーンでの「勝利のためには捨て駒も必要だ」という諸葛亮の台詞は、この伏線だったんですね。

(62.07)諸葛亮に欺かれ、今まで戦ってきたことの意味すら見失う趙雲。意外なくらいショックを受けてます。羅平安の言う通り、諸葛亮は最初からそんなやつだったのに。けどこの趙雲の迷いは、ラストシーンに向けてストーリー的に必要な迷いと言えます。

(66.06)本作の悪玉にしてヒロインの曹嬰。曹叡や夏侯楙あたりをモデルにしたキャラクターでしょう。毛皮があったかそう。

(71.44)ここで青詇が出てくるのか!

(75.32)関興たちはすでに負けていた。『演義』だと関興張苞が罠に陥った趙雲を助けるんで、同じようにラストには助けにくるもんだと思ってたのに。びっくり。

(76.12)公主が戦うのはいいとして、大刀なんていう重量武器を選ばせるのがすごい。そしてやっぱりアクション重点な作品だけあって、一騎討ちの迫力は同時期の「三国志 three kingdom」や「レッドクリフ」と比べても抜き出てます。

(77.59)あれ、てっきり密通者かと思ったら、ここで助太刀するのか羅平安。

(78.08)矢も射れないのか羅平安。

(78.11)弓なんて渡してどう使えというのか羅平安。

(78.21)弓とはこうやって使うのだ。

(78.43)常山いい加減にしろよ…

(83.22)やっぱミスターに似てるよなあ…

(89.28)「寧ろ我をして天下の人に負かしむれども、天下の人をして我に背かせじ」。ここで曹操の言葉を持ってくるのが最高です。曹嬰はオリジナルキャラクターですけど、曹操の孫としてすごくいい感じのキャラにデザインされてると思います。曹操の生き様を継承しつつ、同時にそれが彼女のトラウマにもなってるところが、とくに。ベタって言ったらベタなのかもしれないですけど。

(89.35)演義』ではただのかませ犬だった韓徳を、ここまでのキャラクターにするんですねえ。すごいですねえ。動揺する韓徳がやがてすべてを納得するまでの表情の変化がそれは本当によかったです。同じように大将に欺かれて茫然とするしかなかった趙雲たちとのきれいな対照になってました。魏の将軍としてこれ以上ない描かれ方だと思います。

(93.16)「自分で運命を切り開けると思ったが、天が定めた運命を生きていたにすぎない。勝利も敗北も無意味だった」と言う趙雲。本作のメインテーマです。仏教的な無常観っぽいです。冒頭から繰り返し仏像が映されてきた演出もこのためですね。

(93.55)そして劉備から賜った鎧をついに脱ぐ趙雲。それを脱がすのはかつてそれを趙雲にまとわせた羅平安。「輪」というキーワードの通り、後半のストーリーは前半のそれを逆になぞるような構成になってます。
 そして、さっきは「出立の頃からなにも変わっていなかった」と嘆いていた趙雲が、ここではそれをありのままに受けいれるに至っています。迷いはもうありません。悟ってます。劉備の鎧を脱ぐのはその象徴です。
 また、ここで映される「一切有為法、如夢幻泡影……」という文言は、『金剛般若経』が典拠であり、「空」の思想を表現する代表的な箇所です。仏教わかんないんでググりました。でも『金剛般若経』は三国時代にはまだ漢訳されていないはずでは?あなたがたにはっきり言っておく。そう思っていたあなたは反省して頂きたい。歴史ドラマは時代考証をするためにあるものではない。ゲーム脳になっていないだろうか?家族と話をしているだろうか?

(97.46)三国を統一したのは魏でも呉でも蜀でもない、晋だった。これも無常です。そして「古今の多少の事はすべて笑談の中に付す」は、『演義』冒頭の言葉。趙雲の言う「輪」のように、本作のラストは『演義』冒頭で締めくくられるのでした。

 アクションのかっこよさ、ビジュアルの美しさは、今まで観た三国志の映像作品のなかでも群を抜いてました。趙雲のかっこよさは言わずもがな、曹嬰・韓徳がまた光ってましたね。出番は少ないですけど、関羽張飛も渋い。本作があまりに話題にならないせいか、そういう見栄えの面は微妙なのかなと何となく思ってたので、かなりびっくりしました。
 三国志的なところで言えば、ストーリーやキャラクターの面々をはじめオリジナリティが非常に強いですが、一方では随所に『演義』を踏まえた演出・表現も見え隠れしてます。それに、「運命とは」っていうメインテーマがおもしろいですね。
 さっき趙雲が言った「人は天が定めた運命を生きるにすぎない」という運命観は、『演義』にも近いものがあります。『演義』は、運命の存在を肯定します。と同時に、その運命のもとで人とはどのように生きるべきなのか、ということを追い求める作品でもあります。たとえば、劉備は漢の滅亡を必然と言われながらも、「それでも私は漢の末裔ですから、漢をお救いせずにはいられません」と答えます。また諸葛亮は、天が漢に味方しないことを予見しつつも、なお漢のために戦い続けることを死ぬまでやめませんでした。
 運命の存在を肯定することと、人としての道義(忠とか義とか)を重視することは、一見するとなんかちぐはぐなようにも思えますが、これはつまり天に普遍的な摂理(運命)があるのと同じように、人にも普遍的な道義(道徳)があるはずだ、という朱子学の思想が根底にあるためです。…たぶん。
 これに比べると、本作はすごく仏教っぽいです。運命の存在を受けいれることそれ自体を重視してるところに、そんな感じがあります。そしてそれを受けいれたあとの趙雲の台詞も、「自分は常勝将軍などではない」「勝利があれば敗北がある」「趙雲の人生は大きな輪をぐるりと描いたようなものだ」など、仏教的な無常観や「空」をイメージさせます。作中の演出でも何度も仏像が強調されてましたしね。
 『演義』とはまた別の方向から三国志にアプローチした作品という印象であり、僕はすごくよかったと思いました。

「レッドクリフ partⅡ」を実況せんとす

(5.24)partⅠのラストから引き続いてのサッカー蹴鞠。なんで蹴鞠?
 ところで僕、レッドクリフを見るまでこういう形式の蹴鞠があることを知りませんでした。今の日本でやってるあの蹴鞠を想像してたので。より古い時代にはこうして両チームでゴールを競い合う形式だったらしいです。

(8.32)投壺を知ったのもだいぶ後になってから。最初はなんか手裏剣術めいた投擲武術のひとつかと思って、関羽張飛は武人なんだからむしろ上手いはずなんじゃって不思議でした。ほんとは真逆で、投壺は君子の修養です。だから周瑜が一番上手なんです。

(10.52)曹操だって人気なんだよってことを説明するシーン。家族的な団結をする孫権、仁徳で慕われる劉備に対し、曹操は政治的な手腕で支持を得ます。三人の違いがよく出てていいですね。こんな感じのシーンがもうちょっとあってもよかったかなって気もします。

(12.58)孫尚香とオリジナルキャラクター孫叔材の出会い。一見すると恋なのかなって気もしますが、僕は兄弟的な親愛かなと思います。あえて二人を同姓に設定してるのもそのためかなって。

(14.20)この辺の妖術師の描写や疫病の設定はかなりきっちり考証をやってるって副音声で言ってます。『演義』にないオリジナル場面なので、その分しっかり力を入れてるってことですね。
 前近代の中国では土葬が主流で、火葬は遺体を損なうことだとして忌まれていました。今ではほとんどが火葬ですが、それでも一部では疎んじる意識が根強いそうです。だからこういうシーンがポンと盛り込まれてもちゃんと理解できるのかな。もちろんその辺を知らなくても曹操の悪逆さはなんとなく伝わりますけど、やっぱり最初観たときは周瑜諸葛亮が土葬か火葬かで口論してることや、周瑜が悲壮そうな表情をしてる意味がちょっとピンとこなかった。

(21.21)ここでも医学への精通ぶりを見せる諸葛亮

(23.40)敵前から撤退してしまう劉備。一応これは劉備周瑜の作戦だったってのが後で明かされるんですけど、それでも「信義だけでは生きてゆけぬ」という言葉自体は劉備の本心なんじゃないかな。『演義』みたいな仁君劉備像は現代では不評ですから、レッドクリフでも、それとは一線を画す劉備像を示さないといけなかったんだと思います。

(25.30)partⅠに引き続き、曹操の側近役を務めるのは曹洪。日本だと曹操の身内といえば夏侯惇のイメージが強いですけど、中国のドラマを見ると曹仁曹洪がその役になることが多い気がします。おもしろい違いだと思います。ちなみに『演義』の赤壁の戦いでは、曹洪はとくに出番ないです。

(28.00)「陰のごとく」「雷のごとく」。これが「風林火山」の続きだってのはテニプリ読んでないと日本人にはわかんないですけど、中国人には普通にわかっちゃうんですかねぇ。

(28.53)連環の計は蔡瑁の発案ってことにされてます。『蒼天航路』でも曹操軍側で考案されたことにされてましたね。さすがに全部が全部諸葛亮側の計略だったってすると、いくらなんでも曹操が騙されすぎになるからでしょうか。

(32.35)孫権は虎が親友でしたよね」って井戸田さんとやついさん。『蒼天航路』もばっちり読まれてる。先生には通じなかったですが。

(42.02)ここでは手際よく連環を解いて迎撃する曹操水軍。これがラストの決戦だとてんでダメになってしまう。蔡瑁・張允がいなくなって曹操水軍が弱体化したことが端的にわかる描写です。そして連環の計と蔡瑁の死というふたつの敗因をセットにまとめる、うまい脚本です。

(42.32)ここの魯粛は最高です。partⅡで2番目に好きなシーンです。副音声でも大絶賛でした。魯粛の見事な道化役ぶりと、諸葛亮への絶妙な皮肉が本当にいい味を出してます。この人にはかなわないなっていう諸葛亮の苦笑もすごくいい。
 レッドクリフが地上波で放送されたとき、「周瑜はかっこよくなったのに魯粛は相変わらずでかわいそう」って声をけっこう見ました。そしてこのことに限らず、正史とはまったく異なる『演義魯粛の道化化は、ずいぶん否定的に見られてるように思えます。しかし申し訳ないんですけどそれについては、『演義』をもっとちゃんと読めと僕は言いたいです。魯粛という道化役がいるからこそあの物語は成り立つのです。一見すると魯粛を軽んじてるようでも、物語上の役割は非常に重いのです。だからレッドクリフでも魯粛はこうして登場するのですし、むしろ周瑜諸葛亮に匹敵する存在にしたレッドクリフだからこそ、なおのこと魯粛のようないい人の目線は不可欠になったと言えます。
 もちろん、正史に表現されるような抜群に格好いい魯粛像はそれもいいのですけど、そんな彼を登場させるなら物語を根本から作り変えないとなりません。『秘本三国志』では、赤壁の戦い魯粛の登場を削ってました。また『蒼天航路』は、魯粛を気骨ある風雲児に設定していますが、物語構造は曹操vs諸葛亮vs周瑜という『演義』を踏襲するものだったため、結局はやはり魯粛が道化役に収まることになりました。あれはあれで、魯粛vs張昭という常識人対決と曹操諸葛亮周瑜孫権という天下人視点とがうまく対比されることになっているんですけど、ちょっと魯粛のキャラが死んでしまったかなという気もします。それに比べるとレッドクリフは、『演義』の人物形象の巧みさをちゃんと引き継ぎつつもいいスパイスを加えている、と僕は思います。

(47.16)周瑜作の偽書状が蔡瑁の筆跡とそっくり。周瑜は真似字が上手って伏線がここで回収されます。

(51.43)ここの蒋幹の手前にいる軍師が程昱なんだそうです。言われてみれば立派な風采で程昱らしい。

(55.19)partⅠでの孫権の決断までの流れもよかったですが、partⅡではこの蔡瑁謀殺と十万の矢の組み合わせがすごくうまいです。『演義』だとふたつはほぼ別の計略でした。レッドクリフではふたつを同時進行で描きつつ、諸葛亮周瑜の以心伝心の連携も盛り込むことで、曹操が騙されてしまうだけの説得力を生み、かつ両者の無言の信頼を表現していました。そして大幅に尺を節約した。
 また、『演義』の赤壁の戦い曹操vs劉孫連合であるだけでなく諸葛亮vs周瑜の知恵比べでもあることは有名ですが、partⅠ時点で劉備軍と孫権軍が絆を結んだレッドクリフではその要素が薄れてしまう弱点がありました。そこで前の場面で劉備を撤退させ、諸葛亮周瑜の間に亀裂を生じさせ(ているように見せ)ることで、『演義』おなじみの計略合戦を盛り込む余地を作ったのです。『演義』をリスペクトしつつ現代ドラマとして仕上げる脚本は、他の三国志作品と比べても遜色なく、本当に見事だと思います。

(56.54)蒋幹の最期。ちなみに『演義』では蒋幹の末路は描かれませんでした。一連の謀略戦にオチがついていいですね。気の毒ですけど。ただこのシーン、たぶん諸将は蔡瑁の内通が嘘だったことを知らされてないですよね。蒋幹の毒死を見て固まってるから。せいぜい察してるのは曹洪くらい。曹操が部下を置いてけぼりにしちゃってる感じが、いいような悪いような。

(60.02)副音声でも、孫叔材と孫尚香の関係は恋か友情かどっちなのだろうという話がされてます。小沢さんは完全に恋愛派。難しいですね。どうなんでしょう。

(65.27)作品のテーマである家族愛が、曹操にもあるんだよっていうフォローの場面。聞いた話だと、partⅠを観たお客さんから曹操を悪くしすぎって声が上がったから入れたとか。ただ、これはどうなんでしょうね。こうした側面を描くことで悪役をフォローするっていうのはよくあることですが、僕はあんまし有効じゃないなと思ってます。
 具体例で申し訳ないんですけど、『キングダム』が始皇帝の美化のため彼の情愛を描いた時、果たしてそれは美化になるのだろうかと疑問に感じました。つまり非情だと批判されてきた人物に対し、いや彼にも情はあったんだと情の立場からフォローすることは、その人物が本来持つはずのよさをむしろ見落とすことにならないかと。始皇帝をかっこよく描くなら、その強さとか果断さとか逸脱ぶりとかの「非情」の中身を強調すべきではないかなと。『蒼天航路』が曹操董卓の非情さを突き抜けさせたように。
 ここでも曹操側の義を描くなら、それは曹操ならではの価値観を強調すべきで、劉備孫権の信念であったはずの家族愛によって曹操を正当化しようというのはちょっと違うんじゃないかな。だから、ここで小沢さんが「これって曹操の詭弁じゃないんですか?」と受けとってたのは、僕は正しい見方だと思いました。曹操のキャラクターを知ってたら、この場面は素直に受けとれないです。いっそ兵士たちの歓声を背後に曹操がほくそ笑むカットでも入れて、曹操の人心掌握の巧妙さを表現した方が、倒すべき悪役としての曹操の強大さが出ていいんじゃないかなって思うんですけど。
 ちなみに『キングダム』についてですけど、さっきのは僕が読んでた成人編までの印象で、最近はどうも始皇帝の規格外さの表現に比重を移してるっぽいです。始皇帝の両側面をパートで描き分けるっていう原泰久さんの手法なのかもしれません。間違ってたらごめんなさい。

(66.32)副音声チームがめっちゃ連呼してますけど、レッドクリフ孫尚香はめっちゃ可愛いです。髪をおろした姿がめっちゃやばいです。

(68.55)曹操軍のモブ将軍が誰が誰かわかんなくて残念、レッドクリフ曹操軍に冷たいね、と言うやついさん。本当にその通りだと思います。

(69.24)ここで曹操軍が火攻めを狙ってるのがいいですね。このせいで曹操軍は自らが用意した火種に焼かれてしまうことになるのですが、『演義』みたく曹操の敗因をぜんぶ曹操が騙された結果とせず、予期しえない読み間違いで負けてく方が説得力があります。

(72.30)諸葛亮が東南の風を読むシーンです。これはもうよく言われていることですけど、先生の言葉をお借りすれば、最近の作品は諸葛亮が風を「呼んだ」のではなく「読んだ」というのが主流になってます。日本でも『吉川三国志』以来、ほとんどの諸葛亮が風を読みます。しかしそれでも、風を呼ぶシーンを全カットするのはもったいないということか、あれは周囲へのパフォーマンスだったなどの理由をつけることで盛り込む作品もたくさんあります。それぞれうまいこと合理的な解釈をしててすごいと思います。しかしレッドクリフでは……

(73.00)「東南の風を知ってるのは蔡瑁だけ」という台詞で、蔡瑁謀殺がここでも活きたことが説明されます。partⅠで蔡瑁が天候の話をしてた伏線がやっとこさ回収されたわけですが、このようにレッドクリフは、十万本の矢、蔡瑁謀殺、東南の風、連環の計の効果を重層的に絡ませてるのが『演義』と違うとこです。よくできてますよねえ。

(75.54)周瑜に却下されちゃう苦肉の計。そういえば、最近の作品では苦肉の計がクローズアップされることが減ったような?周瑜のキャラを食っちゃうから?

(79.25)かわいそうな井戸田さん。

(83.25)家族愛というテーマが一番強く描かれるシーン。partⅠの牛泥棒のシーンでも垣間見れましたが、呉軍は呉軍全体がひとつの家族です。

(86.23)本物が来たので用済みになった身代わり驪姫。かわいそうなキャラです。曹操から物としてしか見られない驪姫は、夫のため国のために自ら身を捧げる糜夫人・小喬との対比になっており、同時に曹操が孤独であることの表現にもなっています。ただ、ちょっとやりすぎな感じはありました。驪姫に小喬ごっこをさせる曹操はさすがにまぬけでしたねぇ。

(95.47)曹操を引き止める小喬の苦労を「お店のお姉ちゃんみたいでしたねー」って言う人がいるんですよ。副音声では「こうやって終電がなくされちゃうんですね」って言ってる人もいました。たぶん同一人物でしょう。

(99.12)孔明が風を「呼んで」ますね!さっき風を「読んだ」にも関わらず、です。風を読むこと、風を呼ぶことを合理的に説明して両方取り入れる作品はいくつもありますが、レッドクリフは整合性をとろうという気がまったくありません。しかし、そういう無理やりを良しとしちゃうところに、むしろ『演義』に対する熱いリスペクトを感じます。誰が何と言おうと孔明は風を呼ぶんだ、文句あるかって言わんばかりの力強さを感じます。穿ちすぎでしょうか。でも、partⅡで僕が一番好きなシーンです。
 ちなみにパンフレットを見ると、風を呼ぶ要素は金城さんの提案だったらしくて、ジョン・ウー監督は風を読むという解釈しか知らなかったそうです。ちょっと意外です。

(108.42)理不尽に叱責される曹洪がかわいそうですねぇ。レッドクリフ曹操がいまひとつかっこよくない最大の理由は、この部下との信頼関係の見えなさですね。蒋幹の死のシーンでも部下は置き去りでしたし、さっきやついさんが言ってたように曹操の部下がモブ扱いしかされてないってのもこれに繋がります。曹操の才を信じる将軍たちの姿をもっとちゃんと描けば、曹操も英雄らしく見えたはずです。まして曹操は人材愛の人ですしね。もっとも、本作では団結の孫権劉備と孤独の曹操って構図になってるので、それをやっちゃうと話がだらけちゃうんですけどね。難しいところです。

(112.49)甘興が必死に助けようとしてるの、これ牛泥棒三人組のひとりです。でも彼は死んでしまう。切ないシーンです。将軍に恩をかけてもらうというのは良い意味ばかりではない、だってそんなことをされたら兵士は命を捨てて戦わなくてはならなくなってしまう、と渡邉先生が言っています。周瑜に庇われた時、この最期は決まっていたとも言えます。切ないシーンです。

(113.26)聞いた話だと、中村獅童さんは最初は甘寧役でオファーされてたそうです。ところが獅童さんの殺陣の上手さに監督が感激して、急遽こういう見せ場が用意されることになったために「甘興」になったとか。実在の人物は史実に反して死なせないってことらしいです。甘寧のままでもいいじゃんって気がしちゃいますけどね。

(123.53)味方の窮地にも関わらず、小喬への報復に執着する曹洪夏侯雋。これはさすがにまぬけです。さっきの話の繰り返しになっちゃいますけど、こういう幹部級がかっこいいと同時に主君が引き立つはずなんです。曹操軍の脆さを描かなきゃいけないってのはわかるのですけれど。

(130.00)満を持してメキシカン・スタンドオフが登場!と、いう風にレッドクリフでは二丁拳銃、白い鳩といったジョン・ウー作品のお約束が三国志アレンジされてしっかり盛り込まれてるってウィキに書いてありました。おもしろいです。僕、ジョン・ウー監督の映画は観たことなくて…。何から観るといいんでしょう。

(133.57)落下する夏侯雋夏侯雋の出番おしまい。死んだか死んでないかわかりにくいですけど、でも彼がオリジナルキャラってこと考えると、これで死んだんでしょう。

(135.00)孫叔材の死を悼む孫尚香と、その周りを埋めつくす両軍の兵士の死体。反戦という本作のテーマを象徴しています。ただ、ここまでは守るために戦うことの大事さ(家族愛と勇気)を強調するシーンが多かったので、ここでいきなり反戦と言われてもちょっと面食らうかも。
 レッドクリフがテーマとする家族愛と反戦は、本来は相容れにくいものです。たとえば戦時中の吉川英治が『三国志』で家族愛を強調したように、家族愛はむしろそれを守るための戦争の肯定に結びつけられることが常です。だからレッドクリフは戦争容認の映画と勘違いされないためにも、最後でびしっと反戦を主張する必要があったのです。
 そんなレッドクリフ反戦の根拠としたのは、やっぱり家族愛です。本編中、「家族」の範囲が少しずつ広がっていたことには気づかれたでしょうか?最初は文字通り家族だけだったものが、次第に友達、君臣、味方の兵士たちまでもが「家族」として見られるように変化しているのです。そしてそれがさらに敵側にも及んだ瞬間が、僕は孫尚香と孫叔材の出会いの場面だと思っています。あれは恋愛じゃなくて家族愛だって言い続けてた理由です。自分たちを攻めてきた敵にすら家族愛の心は及びうるんだ、つまり敵味方の区別なんて本来的にはないはずなんだ、というのがレッドクリフの主張する反戦です。だからこのシーンで孫尚香は孫叔材の死を悼み、曹操軍と孫権軍の死体は折り重なり、勝ったはずの周瑜が「勝者はいない」と言うのです。博愛主義的であり人類愛的な家族愛のかたち……と言ってしまうとちょっと陳腐ですけれど。

(136.14)そして曹操を見逃すこのシーン。評判よくないっていうか、なんで曹操を見逃すのかわかりにくかったそうですね。ちなみに副音声によると、諸問題でここの劉備の台詞をひとつカットしたらしく、そのせいで余計わかりにくくなったという事情もあったとか。
 三国志的に言えば、曹操を見逃す、と言われて当然思い出さなくちゃいけないのは「華容道」です。曹操は見逃さなくてはならないのです。そうすることで、曹操という大敵を討つことよりもさらに大事な「なにか」が存在することが表現できるからです。そして「なにか」には、往々にして作品の根幹となるテーマが込められます。『演義』は、「華容道」で関羽の担う義の重みを表現しました。ではレッドクリフの場合は。いっこ前で書いた通りです。
 でも初めて観た時のことを思い出してみると、もちろん反戦やら何やらも漠然とはわかっていたのですが、それよりも、これ僕の知ってる三国志とは違うぞってとこばかりが気になっちゃって、あんまし深く考えられなかった記憶があります。だから、レッドクリフ三国志作品としての個性ってのを読み取る余裕もありませんでした。もうちょっと三国志に詳しかったら、さまざまな三国志作品の違いを踏まえた上でのレッドクリフの特徴を見つけられたんでしょうけど。

 レッドクリフ周瑜は、『演義』のように呉に天下を取らせるためではなく、家族と誇りを守るために戦います。曹操を討つことを使命とするような描写は、ほとんどありませんでした。劉備が(たぶん)一度も漢という言葉を口にしなかったのもすごいですね。その代わりに与えられたテーマが、繰り返しですけど団結であり勇気であり家族愛であり反戦でした。
 じゃあレッドクリフは『演義』とはテーマがまったく別物の作品かというとそうでもなくて、レッドクリフのいう家族愛とか結束とかは、つまり『演義』の根幹である仁(仁愛)や義(信義)を現代の言葉に置き換えたものだろうって僕には思えました。監督もインタビューで、「三国志は人情と義理の物語だ」と言っていましたし。
 『演義』の物語性を尊重しつつ、『演義』が持つ普遍的テーマをしっかり受け継いだところに、この作品の『演義』の語りなおしとしての出来の良さを感じました。

「レッドクリフ partⅠ」を実況せんとす

(04.05)オープニングで映る宝剣。副音声で井戸田さんが「これ劉備が母親から貰った伝家の宝剣かと思った」と言ってます。先生が「それはマンガのことで演義にはないので、中国にはない話なので無理であります」と答え、「演義にはないんですか」と驚く井戸田さん。劉家の宝剣、あるいはそれを托した劉備の母親、どっちも吉川三国志のオリジナルですけど、日本の三国志だとだいたいどっちかは出てきますもんね。吉川の影響力恐るべしです。

(10.00)自由を奪われた帝と、諫言して処刑される忠臣。誰が悪者か一目でわかっていいですね。この曹操は―演じるのは張豊毅という俳優だそうですが、酷薄そうでかつ強そうな曹操で、これもとてもいいです。ドラマ「三国志TK」の愛嬌ある曹操(演:陳建斌)とはまた違った奸雄曹操です。

(11.36)ちらっと映る張飛の全身。得物は蛇矛じゃないんですねぇ。

(15.33)この小太りの劉備側近。劇中一度も名前が明かされないんですけど、そのくせたびたび劉備軍のすみっこに登場し、partⅡの最終局面にも顔を見せるってゆう謎の武将。エンドロールを見た感じ、どうも関平(演:孟和烏力吉)じゃないかと思うんですけど。

(16.19)どさくさのうちに死ぬ甘夫人。

(19.38)やはり糜夫人の自害は長坂坡の戦いでは外せないですね。このあと登場する驪姫(曹操の妾)との対比にもなってます。

(22.30)趙雲張飛とで戦いぶりが全然違うのがいいですね。流れるように次々倒していく趙雲と、何人もまとめて吹き飛ばす張飛

(23.05)関羽のエントリーだ!

(23.54)敵兵を一掃し、見得を切る関羽!間違いなくpartⅠで一番の見せ場でしょうね!
 レッドクリフの登場人物で、こうして敵を倒すたびに見得を切るのは関羽だけ。これは京劇の所作を参考にしているらしいです。本作の関羽はあくまで脇役のひとりですけど、それでも少ない出番の中でこうしてきっちり特別扱いされてるのが流石です。
 それに関羽役の巴森扎布がもうすごく関羽っぽい関羽です。モンゴル族の出身で、チンギス・ハンの末裔なのだとか。最近見た他の関羽に比べると―ドラマ「三国志TK」(演:于栄光)と映画「三国志英傑伝 関羽」(演:ドニー・イェン)ですけど、その中では申し訳ないけどレッドクリフ関羽が圧倒的にいいです。

(29.49)敵中にとり残される関羽。しかし曹操に降らない関羽関羽が去るのを見逃す曹操曹操を殺さない関羽。『演義』の「関公三約」と「千里行」と「義釈華容道」をモチーフにしたレッドクリフオリジナルの場面です。やはり関羽は別格です。

(33.07)字がへたくそな蔡瑁将軍。荊州を代表する士大夫なんだが…

(36.07)このいかにも平田広明さんみたいな声で喋りそうな孫権がまたカッコよくて好きです。

(43.43)「曲に誤りあらば周郎が顧みる」ですね!多くは語らず、「音楽と言えば周瑜だ」という記号でキャラクターを説明できちゃうところに、向こうの三国志知識の高さを感じます。日本のドラマで赤い甲冑が出てきたら幸村だ!って日本人がすぐわかるみたいに。

(51.52)このエピソードの元ネタは、たぶん絶纓の会の故事じゃないかな。『演義』で李儒が話していたやつ。副音声でもそうだと言ってたのできっとそうです。

(52.19)「頂いた倉庫半分の残りも頂かなくては」と周瑜。こういう台詞がさらっと出てきても向こうの一般の人は意味がわかっちゃうんですかね。

(52.37)すわ小喬に子供がとここで肩透かしさせておいて、後になって実は本当に…というズルい演出。

(54.43)なんでここで諸葛亮が馬のお産を手伝うのか、ちょっと謎です。もちろん諸葛亮周瑜小喬の信用を得るためのイベントなのですけど、それが馬のお産である理由はなんでしょう。副音声では、諸葛亮と医術はよく結び付けられるって説明されてました。僕はそれに加えてもうひとつ、諸葛亮には隆中時代に農家やってたってイメージがあるからじゃないかなって思います。劇中でも、周瑜に心得を問われた諸葛亮が「牛のお産を手伝ったことならあります」と自分の経験から答えてますよね。ここであえて牛というワードを出してることも、農業を連想させます。
 ただまあ、家族愛とか生命愛ってゆう作品テーマを象徴させてるだけで、三国志的にはあまり意味がないのかもですが…。

(61.00)医術だけでなく音楽にも通じる諸葛亮諸葛亮が書いたとされる『琴経』という本があるらしいです。『吉川三国志』がそう言ってました。

(62.20)ゲスト出演する華佗。さすが有名人です。

(63.36)ここで蔡瑁が天候の話をしてるのは後の伏線ですが、それが回収されるのはなんとpartⅡの終盤。忘れる。

(76.53)孫権が決断するまでの流れがすごくよかったです!
 ①諸葛亮孫権に同盟を求める⇒②諸葛亮周瑜を説得する⇒③周瑜孫権を決断させるという流れ自体は『演義』と同じですけど、キャラの振る舞いやスポットの当て方を変えることで、この作品が『演義』とはテーマが違うってことをはっきり表現してました。
 演義では、諸葛亮が呉臣を論破したり孫権を挑発したり(①)、曹操小喬を狙っていることを利用して周瑜を怒らせる(②)など、諸葛亮の智絶ぶりを描くことがこの場面のメインテーマでした。対してレッドクリフで強調されていたのは諸葛亮の誠意と友情です。孫権の真情を汲み(①)、周瑜にはあえて説得せずその心を確かめるに留めていた(②)ように。そのため、演義のような知力の高さはここでは鳴りを潜めます。また、『演義』に比べて圧倒的に③に尺を使ってたのも印象的です。兄として孫権の決断を導こうとする周瑜の姿は、本作のテーマのひとつである家族愛の表現なんでしょうね。

(77.49)この真似字も伏線。

(80.44)兵士を訓練する趙雲、子供に学問を教える関羽、書をする張飛、草鞋を編む劉備井戸田さんが言ってる通り、劉備陣営のキャラクターをわかりやすく紹介して楽しいです。
 関羽が教えてるのは『詩経』です。関羽と言えば『左伝』ですけど、『左伝』は子供がもっと大きくなってから勉強するものですから、ここでは『詩経』なんでしょう。
 張飛が書道に達者というのはすごく意外です。中国ではポピュラーな張飛像なんでしょうか?ちょっと元ネタが思い当たらないです。ただ、張飛はああゆう愛されキャラなので、そのギャップを題材にした伝承はたくさんあります。曹操諸葛亮を知恵で負かすとか。張飛が意外な一面を見せることは意外じゃないのです。

(82.27)金城孔明が時折見せるお茶目で飄々としたしぐさがたまんないです。

(94.51)本作では端役も端役ですけど張遼が登場。冒頭の曹操関羽を見逃すシーンにいないかなと探しましたが、見つけられませんでした。partⅡでもちょいちょい顔見せしてるっぽいですが、とくに重要な役割はなし。残念です。

(94.55)謎のオリジナルキャラクター魏賁が登場。

(96.30)夏侯雋夏侯惇夏侯淵をモデルにする架空の人物だそうですが、しかし夏侯って姓がいいですね。三国志の物語において、やられ役を輩出することにかけては夏侯氏の右に出る家はありません。名門です。夏侯氏が出てきたら、だいたいそいつはかませ犬と考えてよろしい。partⅠのクライマックスを飾るにうってつけの人選です。

(107.18)好!!

(108.26)張飛の大吶喊。とにかく力任せな戦い方が張飛らしいです。冒頭で関羽が騎兵を体当たりで倒してましたけど(23.54)、ここでの張飛は騎兵ふたりをまとめて吹っ飛ばしてます。張飛のほうが強い!

(109.19)満を持して二丁拳銃が登場!ここで趙雲が使ってる剣のうち1本はきっと青詇ですね。もう1本のと比べて明らかに綺麗だから。

(115.35)謎のオリジナルキャラクター魏賁が討死。史実の赤壁の戦いでは名のある将軍は誰も死なないから、死に役としてこういう架空の人物が用意されたんでしょう。夏侯雋、そして甘興もおそらく。

(117.22)ここで甘興の踏み台になってるのが例の牛泥棒三人組です。

(126.36)「徳のある者だけがこれを治める」と孫権。『演義』では単刀会で周倉魯粛を一喝したときの台詞です。

(126.54)「でしょ?」とお茶目な吹き替え平田さん。

(127.57)荊州問題に孫尚香の婚姻話。それに物憂げな顔をする諸葛亮魯粛。視聴者がレッドクリフ後の三国志の展開を当然知ってる前提で話が進みます。

(129.37)満を持して白い鳩が登場!

(130.53)井戸田さんかわいそう。

(139.11)曹操のおじいちゃんが蹴鞠やってたんじゃないですっけ」と井戸田さん。きっと『蒼天航路』を読まれたんですね。

「三国志 Three kingdoms」全95話を観る その5

第5話「三英傑、呂布と戦う」

袁術
 僕は正直、全体で言えばTKのキャスティングはちょっといまいちだなあと思ってます。こういったことにはまるで詳しくないのでこの感覚を具体的に言葉にはできないのですけど、たとえばレッドクリフの方が―制作規模的に比べちゃ悪いんですけど、ずっとイメージに合う。
 ただし、その中でも抜群にこりゃすげえ!と思ってるのが何人かいて、そのひとりがこの袁術(演:閻佩)です。何でかわかんないんですけど、この人の袁術はたまんないです。偉そうで、不機嫌そうで、陰気で。なんというか、小物っぽくなくかつ嫌な奴なんですよ。
 袴田郁一『マンガでわかる三国志』は、『演義』のなかで袁術ほど最高のやられ役はいないって言ってますが、しかし最近の三国志だとさすがにそのイメージが先走り過ぎで威風がなさすぎです。猿じゃないかあれ。相応の風格があってこそやられ役としての格も上がるというものですし、かと言って袁紹みたいな華やさもできれば袁術にはない方がいい。TKの袁術は僕のイメージにぴったりでした。
 こいつが早く皇帝になるとこが見たい、そう思わせてくれる袁術です。

◆劉三刀・韓融・王沖
 光の速さで死んでた三将軍。ナイスカット。
 なお『演義』で呂布が斬ったのは方悦・穆順・武安国。なんで別のオリキャラにしたんだろう。

公孫瓚
 ここまで劉備との関係には触れられず、バカ諸侯のひとりとしか描写されてないですけど、界橋の戦いはどうするんだろう。

◆三英雄、呂布と戦う
 3対1の斬り結び、しかも馬上でとなると映像化するのはかなり大変そうですけど、かなりカッコよく仕上げてました。カメラワークで誤魔化してるって言えばそうではあるんですけど、それでも丁々発止、とても見ごたえがありました。
 TKは殺陣が下手くそだって言う人もいますけど、まあちゃんと全部観てないんでしょうね。反省していただきたい。

◆三つの家の奴隷め!
 三つの家の奴隷め!
 三つの家の奴隷め!
 三つの家の奴隷め!
 三つの家の奴隷め!
 三つの家の奴隷め!
……どうにかならなかったのか。
 とはいえ、もともと張飛の台詞は俗語ばかりで翻訳がとても難しいと言われてますし、しかも罵倒語ですし。その上、劇中の張飛が「三つの家の奴隷(三姓奴)」の意味をご丁寧にも説明してくれちゃってるので、別の言葉を借りてくるわけにもいかないし。さもありなん。
 張飛の罵倒と言えば、こことは関係ない場面なんですけど、『吉川三国志』にこんな一幕があります。

「吝ったれ奴!二百匹ばかりの軍馬がなんだ。あの馬を奪りあげたのは、かくいう張飛だが、われをさして強盗とは聞き捨てならん。おれが強盗なら汝は糞賊だ」
「なに、糞賊?」
 呂布もまごついた。世にさまざまな賊もあるが、まだ糞賊というのは聞いたこともない。張飛のことばは無茶である。
「そうではないか!汝は元来、寄る辺なく、この徐州へ頼ってきた流寓の客にすぎぬ。劉兄のお陰で、いつのまにか徐州城に居直ってしまい、太守面をしているのみか、国税もすべて横領し、むすめの嫁入り支度といっては、民の膏血をしぼり、この天下多難の秋に、眷族そろって、能もなく、大糞ばかりたれている。されば汝ごとき者を、国賊というのももったいない。糞賊というのだ。わかったか呂布っ」

 張飛の悪態を表現するため、いっそ言葉を作っちゃう吉川英治。さすがであります。



「三国志 Three kingdoms」全95話を観る その4

第4話「関羽華雄を斬る」

関羽vs華雄
 『演義』では、序盤きっての見せ場である関羽華雄の一騎討ちを、あえて直接描写しないという手法がとられています。カメラを諸侯の本陣に据え置いたまま、陣太鼓の響きや鬨の声という音の効果によって関羽の勝利を表現してるんです。TKも、せっかくならそれに倣ってもよかったんじゃないかな。あんま殺陣うまくないんだし。

◆袁隗邸襲撃
 曹家虐殺、呂家虐殺に続いて第4話でもう3度目の虐殺シーン。殺伐!
 あとここで処刑されてる袁隗は、第1話で曹操を小馬鹿にして逆にやり込められた人ですね。因果応報。

曹仁曹洪
 序盤での曹操の側近役です。まだ荀紣たちがいないですから。
 日本の作品だと、何となくこういうときは夏侯惇がその役になりそうな気がします。『蒼天航路』がまさにそうでしたし。曹操の身内代表といえば夏侯惇です。
 しかし曹仁曹洪みたいな弟分の方が、ちょっとした太鼓持ちって感じになって曹操がより偉ぶって見えますね。

曹操劉備の問答
 乱世の到来を歴史の必然とし、また雄飛のための好機と見る曹操
 乱世を人心の乱れによるものとし、天下の安寧と漢室再興を目指す劉備
 天下取りを目指し、そのための権謀術数とそれを支える人材を重んじる曹操
 天下安寧のため、仁、義、忠、孝という礼の復興を重んじる劉備
 劉備は諸侯の我欲を糾弾するとともに、それこそが人心の乱れであり、乱世の元凶と主張します。
 前回から謎めいていた劉備の真意の一端が明らかにされる場面でした。
 権謀で天下を取ろうという曹操と、仁義で天下を治めようとする劉備の対比がとてもわかりやすかったです。
 それでいてTKの劉備は『演義』のような仁者劉備とも違って、曹操に面と向かって啖呵を切ったり、また自分が護持する仁のあり方に自覚的であるなど力強さを感じさせますね。

孫堅を調略する李儒
 ここで孫権を登場させるのは面白いですね!
 その孫権にとことんコケにされる董卓軍一の智嚢。
 シーンとしては面白いですけど、そういう情けない役回りは李粛とか牛輔に回してほしかった。TKの董卓陣営は全体的にコミカルなバカっぽさがあって、邪悪さとか暴虐さが足りないです。



私は、このマンガとは、一切関係ありません。偶然ここへ来て、書き込みしています

マンガでわかる三国志 (池田書店のマンガでわかるシリーズ)

マンガでわかる三国志 (池田書店のマンガでわかるシリーズ)

 
 演義のあらすじを紹介するわかりやすいマンガパートと、それを解説するわかりにくい本文パートの二段構成になってます。だいたい3:7くらいです。
 そしてけっこう珍しいことに、正史ではなく演義の解説をメインにした本です。

 正史をひも解く概説書の多さに比べると、昨今の演義の扱いは淋しい限りです。三国志の流れをざっくり紹介するのに使われるか、「演義では×××××となっているが、それは誤りで、史実では……」とかゆうありがちな枕詞に使われるか、そんなものです。三国志好きなら演義くらいだいたい知ってるだろうって思われてるのか、深く掘り下げる意味がいまいちわかりづらいのか。
 演義をじっくり掘り下げ、そこに込められた文学性や思想へと踏み込む本というのは、あまり多くはないのです。

 この本が、そうしたものへと踏み込むものかどうかは、それはちょっとまだわかりません。
 ただもし、拙いながらもそこへ踏み込みたがってるという感じが、この本を手に取っていただいたあなたにもし伝わったとしたら、それに勝る喜びはありません。

「三国志 Three kingdoms」全95話を観る その3

第3話「曹操、善人を誤殺す」

◆呂伯奢事件
 前話の終盤から本話の前半まで、かなり尺を取ってましたね。
 呂伯奢事件は、曹操の生涯の4つの汚点のひとつであり、これをどう描き、どう説明するかが、曹操を主軸にする物語にとっての大きな課題だと思います*1
 また演義では、この事件は曹操が奸雄としての本性を露わにする最初の場面です。それまでは一貫して能臣として描かれてきた曹操が、ここで初めて、倒すべき奸雄であると読者に示されるのです。
 で、演義をベースにしつつ曹操に焦点を当てた本作。
 事件のあらましはほとんど演義に沿ってますけど、曹操の描き方はだいぶ違ってました。もちろん、演義の有名な「私が天下を裏切ろうとも、天下に私を裏切らせはしない」などの"奸雄らしい"セリフは本作でもちゃんと残されています。「乱世では強者だけが仁義を語ることができるのだ」って言葉もいかにも奸雄然としています。
 ただ一方で、呂伯奢を手にかける瞬間の曹操の表情、呂伯奢の死体を必死に隠そうとする曹操の姿からは、こうした行為が曹操にとって不本意であり、やむにやまれぬことなのだという様子が伝わってきます。
 続く場面では、曹操が呂伯奢を弔い、陳宮がそれを欺瞞となじり、そして「お前が忠義の士なのか奸悪の徒なのかわからない」と詰問するのですが―これは演義にはないオリジナルのシーンです、これに対し曹操は明確な答えを返しません。この一連のやりとりを見ると、どうも本作の曹操は強いて奸雄を演じているように思えます。乱世という今の時代にあっては、自分は奸雄でなくてはならないと、曹操は己に課している。と、本作は描きたがっているようです。
 本作の曹操はよく笑います。呂伯奢を殺した後も笑ってました。けどその笑いは、不本意な奸雄像をまとう自分自身を嗤うかのような、自嘲の笑いでした。

◆天子の偽勅を利用する曹操
 演義では、曹操が諸侯に蜂起を呼び掛けるために利用された偽勅ですが、本作では連合結成と偽勅利用の先後が逆になって、諸侯の中で曹操が主導権を握るための道具として登場します。曹操の政治力の高さをよく表現しています。

劉備の反董卓連合参戦
 劉備の本格的なお披露目です。本作の劉備は黄巾討伐には参加しておらず、この反董卓連合参戦が初陣だという設定のようです。しかも演義のように公孫瓚旗下として参戦するのではなく、諸侯の一員として名乗りを挙げようとしてます。えらい大胆な劉備です。

 ところで、三国志の中でもっとも人物設定が難しい人物は誰でしょうか。
 曹操は、実はわりとわかりやすいです。どんな作品コンセプトにしろ、曹操を主役にするにせよ悪玉にするにせよ、とりあえず測りがたい大人物にすれば曹操っぽくなります。……というと実際に作品を書いてる人に怒られそうです。ごめんなさい、僕は作品を作ったことがないので、あくまでも読者としての印象です。でも読者として見る限り、そんなに曹操の人物形象で悩んでそうな感じが、あんましないなと思うのです。言い換えれば、作品ごとでそんなに曹操像が割れることはないと感じるのです。
 では諸葛亮か。たしかに諸葛亮はいろいろ難しそうです。作品によって結構諸葛亮像が違いますし。ただ諸葛亮が一番かと言うと、それはとある理由でたぶん違うだろうと思ってます。
 僕は、創り手の方々が今一番頭を悩ませているのは、おそらく劉備なんじゃないかなと思ってます。

 本作の劉備は、……よくわかんないですねえ。
 ずっとくらーい表情のまま、まったく顔色を変えない劉備。諸侯からバカにされても、反論することなく、暗い表情を崩さない。何を考えてるのかわからない、底の知れない劉備です。
 ただ、本話の中で唯一劉備が反応を示したのが、曹操が天子の偽勅を使って諸侯の中でまんまと主導権を握ったとき。これは面白いですね。
 それに、関羽華雄討伐の一番手に名乗り出ようとするのを制止したシーンも、印象的ですね。出しゃばるなと言おうとしたのか、それとも関羽という切り札を使うタイミングは今ではないと考えたのか。きっと後者でしょう。
 本作の劉備は、結構な喰わせ者のようですね。

張飛「連合の中に兄者みたいに漢室の末裔がいるのか?」
 劉備「いないだろう」
 劉岱「」



 

*1:ちなみに僕の大好きな『蒼天航路』は、呂伯奢事件の描き方を大失敗してる、と僕は思ってます。そして呂伯奢事件だけでなく、残り3つの汚点―徐州大虐殺、宛城の敗戦、赤壁の敗戦もまた、『蒼天航路』は描き切ることができなかったと思ってます。これはまだどこかの機会で