三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

三国志演義

国会図書館関西館 小展示「時空をかける三国志」

国立博物館に行ったその足で、今月8日、僕は国会図書館の関西館にて開催されていた展示「時空をかける三国志」を観に行きました。 国会図書館が所蔵する「三国志」を、一列に並べたというこの展示。殊に、普段あまり注目されることのない日本の「三国志」に…

「貂蝉の最期」の系譜 −暫定バージョン

貂蝉って人は、もともと民間伝承出身で、しかも『三国志演義』でもって大きく取り上げられたということも加わって、作品によっていろんな人物像のバリエーションを持ってる人です。漢の忠臣であったり、呂布を慕う女性であったり、また関羽と深い仲になった…

『三国志演義』龐徳の兄嫁殺し

もうひとつ、龐徳の人柄を考える上ではこの件も興味深いです。曹操への忠義を示すため「蜀の兄嫁気に入らないから殺したった。だから兄とはつながりは無い」と殺人告白する演義龐徳さんはかなりな危険人物。— 穀潰さん (@gokutubusi354) 9月 29, 2012 作中、…

『三国志演義』李卓吾本における龐徳評

こないだ、龐徳が「毛宗崗本」にて思わぬ酷評をされていたことを書きました。 ―『三国志演義』毛宗崗本における龐徳評 そいでその記事は、こんな感じにコメントを頂戴して、まとめに入れていただいたりもしました。どうもありがとうございます。 ―ここが変だ…

丈八蛇矛の分かればな

蛇矛(だぼう、じゃぼう)は、柄が長く、先の刃の部分が蛇のようにくねくねと曲がっているため、そう呼ばれる矛。 ―wikipedia‐「蛇矛」の項 『三国志演義』張飛の得物が「穂先の曲がりくねった長矛」であることはもう言わずもがなであろうと思います。 とこ…

『三国志演義』毛宗崗本における龐徳評

『演義』における龐徳の最期は、みじめに降伏した于禁と違い、堂々と関羽と戦い、そして曹操への忠義で死んでいった・・・とずっと思っていたのですけど、どうやら違うらしいとのウワサを最近聞きました。 そこで、現在の『演義』を編纂した毛宗崗が、この件…

悪来と曹操

典韋を悪来に準えはじめるのはいつのどの書からなんだろう? てぃーえすのワードパッド‐「悪が来る」(9/25) 僕もちょっと検索してみたんですけど、典韋を悪来と評す文献は、『三国志演義』より前にはないみたいです。 てっきり、裴注あたりにあるだろうと思…

『三国志演義』検定

『三国志演義』で検定を作ってみました。 10コの「三国志説話」のうち、『三国志演義』にあるものはどれか、ないものはどれかっていうシンプルな問題です。 でもすごく難しくしてみたので、ぜんぶわかったらすごいと思います( `・ω・)・『三国志演義』検定…

夢梅軒章峯と称好軒徽庵

『通俗三国志』を翻訳した湖南文山に関しては、一説には京都の義轍と月堂の兄弟のことであるとされていますが、彼らはこの他にも『通俗漢楚軍談』や『通俗両漢紀事』、『通俗唐太宗軍鑑』といった通俗小説も翻訳していました。 そしてその時に用いられたペン…

『通俗続三国志』卷一 あらすじ

明代、酉陽野史によって成立した『三国志後伝』は、『三国志演義』の後を継いで、西晋末から東晋初までの動乱期を描いた章回小説です。 そして江戸時代、これを翻訳した通俗小説『通俗続三国志』*1と『通俗続後三国志』*2がありました。 こちらではその『三…

関羽の剣

こないだ雲子春秋さんが取り上げていた『古今刀剣録』は関羽の剣についても書いています。 『古今刀剣録』 關羽、先主の重ずる所と為り、身命を惜しまず。采都山の鉄より二刀を為し、銘して曰く"萬人"。羽敗るるに及び、刀を惜しんで之を水中に投ず。 銘の「…

怪しげな孔明の孫 【諸葛質】

昨日に続き、ウィキペディアの怪しげな記事、諸葛質についてです。 wikipedia -「諸葛質」 とにかくウィキの記事が信憑性に欠けるので、ともすれば編集者さんの妄想ぶっぱじゃないかと疑っているのですがねー。 もちろん諸葛質の存在が不確かであるところは…

柴田錬三郎『三国志』(昭和27年)

柴田錬三郎と言えばいわゆる「柴錬三国志」こと『英雄ここにあり』でよく知られていますが、柴田先生はそれ以前から児童向け、軽い読み物としてダイジェスト的な「三国志」小説をいくつか書かれています。本書はその中でもかなり初期に書かれたもののようで…

『李毛異同(7)』 ‐諸侯十八鎮の紹介

曹操檄文を発し去後、各の鎮する諸侯、皆な兵を起こし相応ず、第一鎮、後將軍南陽太守袁術。第二鎮、冀州刺史韓馥。第三鎮……。(「毛本」第五回) 「毛宗崗本」は諸侯十八鎮の紹介に際してその官爵を書くのみですけど、「李卓吾本」では対句にてその人の性格も…

『李毛異同(6) ‐袁紹の系譜

何進が之を視れば、乃ち司徒袁逢の子、袁隗の姪。名を紹、字は本初なり。(「毛本」第二回) 「毛宗崗本」が「袁隗の甥」とするところを、「李卓吾本」では「袁安の孫」としています。 「袁安の孫」とした方がその輝かしい家系が一目に分かりますが、一方でこ…

『李毛異同(5)』 ‐劉焉入蜀

詔して孫堅を封じて烏程侯と為し、劉虞を封じて幽州牧と為して兵を領して漁陽に往かしめ張舉と張純を征せしむ。(「毛本」第二回) 各地で頻発する叛乱を鎮めるため、長沙に孫堅、幽州に劉虞とそれぞれ派遣される場面ですが、「李卓吾本」ではここで討伐将軍と…

『李毛異同(4)』 ‐銅臭宰相

帝はまた趙忠等を封じて車騎將軍と為し、張讓等十三人を皆な列侯に封ず。(「毛本」第二回) 十常侍の専横を示すエピソードのひとつとして、「李卓吾本」ではここに太尉張温・司徒崔烈が十常侍に媚び賂して三公の位を得たという、いわゆる「銅臭宰相」のくだり…

『李毛異同(3)』 ‐曹操の系譜

操の父曹嵩、本の姓は夏侯氏なり、中常侍曹騰の養子と為るに因りて、故に姓曹を冒す。(「毛本」第一回) 一見すると妥当で客観的な紹介をしている様に思えますが、ここには毛宗崗の明確な曹操批判が表れています。 毛宗崗が底本とした「李卓吾本」においては…

『李毛異同(2)』 ‐劉備母を拝す

次日、桃園中において、三人焚香し再拜して說誓し曰く……。玄紱を拝して兄と為し、關羽これに次し、張飛弟と為る。(「毛本」第一回) 「毛宗崗本」では削られておりますが、「李卓吾本」においてはここで「共に玄徳を拝して兄と為し、関羽これに次し、張飛を弟…

『李毛異同(1)』 ‐モノローグ

『三国志演義』のエディション、「李卓吾本」と「毛宗崗本」の比較をします。 「―そもそも天下の大勢は、分かれること久しければ必ず合し、合すること久しければ必ず分かれるもの……。」 その王朝観で有名な、『三国志演義』の導入部分です。 天下が統一され…

30年に一度の三国志ブーム

特にちゃんと調べたわけでなく、卒論をやっとる時にそんな印象を受けただけなので、マヤの予言みたいな感じで読んでいただきたいのですが(・ω・) スタートは1840年頃、天保年間の『絵本通俗三国志』の刊行です。 その30年後の1870〜80年代、明治1…

12月3日は周瑜の命日

ツイッターで聞き思い出しました。 今日は、周瑜が亡くなった日なのです ( -ω-)人ざまぁ ちなみにこの12月3日の典拠について、現行の陳寿『三国志』や『三国志演義』には見られないため、その出典が一時期話題になっていたようです。 その様子はこちらの…

反骨の相

金旋が敗れ武陵城まで逃れると、鞏志は城上に立って曰く「汝は天の時に従わず自ら敗亡した。私は百姓と共に劉備に降るぞ」 言い終わらぬうちに一矢が金旋の顔面に突き刺さり、金旋は馬から落馬した。鞏志は城を出て降伏し、金旋の首を張飛に献上した。 劉備…

柴田錬三郎『柴錬三国志』(昭和41年)

卒論の没ネタを横流し(´・ω・`) 正式なタイトルは『英雄ここにあり』。昭和41年から43年まで連載。*1 いわゆる『柴錬三国志』ですね。『秘本』や『北方』などと並んで現代でも割とポピュラーな「三国志小説」だと思います。 ストーリーは桃園結義から出師…

貂蝉の再登場

呂布は陳宮の言を聞きても心を決めることができず、貂蝉に打ち明けた。貂蝉が曰く「将軍は私を思って、軽々しく城から出ることありませんよう」呂布曰く「憂慮することなかれ。我に画戟と赤兔馬あり、誰があえて近づけよう」……呂布はこれ以降終日出ることは…

廖化、長寿の謎について

廖化は元黄巾賊である。 廖化は蜀漢の滅亡後に死ぬ。 黄巾の乱で20才ほどだとしたら、没年は100才! この謎に対してネットでは、以下の「三国志博物館集解」さんの様に、廖化が黄巾賊という設定が演義の創作であることを指摘、よって廖化の長寿も演義の創作…

『反三国志』華歆と『三国志演義』李儒の最期

「今日の記事はいささか残酷な表現が含まれる」 「よってそれらが苦手な者は閲覧を控えた方がよい」 「仁者の風上におけん、まったくけしからん話だな」

「諸葛亮にして死せざりせば」補足

先日こちらで記事にした架空三国志物語「諸葛亮にして死せざりせば」について。 作者は清朝雍正帝から乾隆帝期の夏綸という人。この人に「南陽楽」という戯曲があるのですが、その粗筋を久保天随が『新訳演義三国志』の付録として載せています。これが「諸葛…

諸葛亮にして死せざりせば

先日京都に遊んだおり、「諸葛亮にして死せざりせば」と題する短篇が古い一冊の書物に収録されているのを発見しました。読んでみると、まさしく三国時代の戦争について記してあり、諸葛孔明の五丈原以降に関するすべての記述が、『三国志演義』と異なってい…

野村愛正『三国志物語』(昭和15年)

戦時中に出版された三国志モノには、代表的なものとして以下の四作品があります。 昭和14年に出版された村上知行『三国志物語』。 昭和14年から18年に連載された吉川英治『三国志』。 昭和16年に出版された弓館芳夫『三国志』。 そして昭和15年に…