戯子然。
『後漢紀』の桓帝紀にのみ僅かに名前が見られる人。
なんか仁侠に関する論文に引用されるのを見つけた。
曰く、戯子然は北海の人で、党錮の禁を逃れてきた張倹を匿った、とか。
論文さんが言うところには、地方の有力豪族くらいの人物だろうと。張倹の故吏とかそんな感じかもしれませんね。
それがなぜ、こんな彼をかつて取り上げたかと言えば、ぼくが戯志才の素性を調べていたからである。
今のところ戯姓と思われる同時代の人はこの戯子然を除いて他にいない。
でも一方は潁川郡、もう片方は北海郡。世代も違う。
その上に戯志才以上に霞がかった人。
( ゚д゚) 全然手がかりにならんがな