『後漢書』霊帝紀に気になる人がいたので。
中平五年(188)十一月、巴郡の板楯蛮が叛き、上軍別部司馬趙瑾が平定した、と。
残念ながら彼の登場はこれっきりなので正体は不明です。でも巴郡や蜀郡など、益州諸郡には広く趙氏の大族がいますので、その辺の人か、あるいは巴郡の板楯蛮はかつて蜀郡成都の人趙温が討伐していますのでその一族ってことももしかしたら。
しかし面白いのは上軍別部司馬という官職で、これは上軍校尉の部下、つまり当時結成したてだった西園八校尉の長、蹇碩の部下だということなんですね。
西園軍がちゃんと働いていたことが意外です。