前後の劉氏
「てぃーえすのワードパッド」―後漢末の劉氏についての戯言
この話、ぼくにも心当たりがございます。
「お忘れかい阿備。おまえのお父様も、お祖父様も、おまえのように沓を作り蓆を織り、土民の中に埋もれたままお果てなされてはいるけれど、もっともっと先のご先祖をたずねれば、漢の中山王劉勝の正しい血すじなのですよ。おまえはまぎれもなく景帝の玄孫なのです。この支那をひとたびは統一した帝王の血がおまえの体にながれているのです。あの剣は、その印綬というてもよい物です」
「…………」
「だが、こんなことは、めったに口に出すことではない。なぜならば、今の後漢の帝室は、わたし達のご先祖を亡ぼして立った帝王だからです。景帝の玄孫とわかれば、とうに私たちの家すじは断ちきられておるでしょう」「時節が来たら、世のために、また、漢の正統を再興するために、剣をとって、草廬から起たねばならぬぞと」*1
ご存じ、御大吉川英治でございます。序盤の、劉備母が息子に劉家の素性を明かす場面ですね。これを初めて読んだ時にはぼくもその発想に驚きまして、読書感想メモにも、
・中興の後漢が、何故か易姓革命扱いになってる劉備母。太守劉焉があぶない。
・劉秀は正統ではないらしい。劉備の旗揚げが後漢への復讐になってしまいそうな流れ。
と残しています。どう見てもラスボスだこれ。
ところがこれを最初に挙げたお二方の考えに照らしますれば、いやあながち見当違いとも言えず、むしろかなり面白いところを突いてるじゃないですか先生。いや、さすがは吉川大先生。
ところが残念なことに大徳()がそんな設定けろりと忘れちゃって、督郵にもベラベラ名乗るわ献帝に拝謁して有頂天になるわ。仕方ないね。