三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

武帝諸王公の傾向と対策

武帝諸王公の系譜

武帝諸王公の一覧

リンク先でファイルを開いてください。




・系譜の見方・
《赤い枠》
 女性。
《青い枠》
どこかに養子に出た人物。


・表の見方・
《人物名》
 ・諡号で書いた。ただし諡号が不明な人物が何人かいる。
 ・表のうち縦枠線を省くことで同母兄弟をまとめた。
  特に赤字は卞皇后、青字は環夫人、緑字は身分が低いと思われる女性(某姫)の子供で区別した。


爵位
 ・爵位(某)とあるのは継嗣を表す。
  青字は嫡子・嫡孫、赤字は養子の継嗣を表す。
 ・爵位青太字で書かれているものは追贈されたことを表す。


《見づらい》
 ・ごめんなさい






武帝諸王公の傾向と対策▼

【早世】
220年以前に亡くなっているのは以下の13人。


A.後継がなく、王位の追贈もされていない者
  曹上・曹勤・曹乗・曹京・曹棘
B.後継が王位に昇れず、王位の追贈もされていない者
  曹整・曹均
C.後継が王位に昇れず、王位の追贈はされた者
  曹沖・曹玹
D.王位を追贈され、後継の実子が王位に昇った者
  曹熊曹鑠
E.王位を追贈され、後継の養子が王位に昇った者
  曹昂・曹矩


Eの後継になった養子はいずれも曹均の実子です。
またDとEは王位を追贈された後に後継者が王に封じられるという順序ですが、曹矩のみ養子の曹敏が先行して王に封じられています。




【養子継承】
曹昂−曹琬(父曹均):豊王
・曹沖−曹宗(父曹拠):平陽公
・曹玹−曹賛&曹壱兄弟(父曹林):済陽公(曹壱)
・曹矩−曹敏(父曹均):琅邪王
・曹整−曹範&曹闡兄弟(父曹拠):成武公(曹範)


このように、養子でありながら王に封じられたのは曹均の子のみです。
曹琬は養父の爵位を継いでいますが、曹敏は養父の追贈より先行して昇格しています。
曹沖・曹玹は王を追贈されながら、後継は王に封じられていません。
曹拠・曹林は王に封じられながら、養子に出した子は王に封じられていません。




【長寿】
・曹拠…254年、皇帝曹芳の後継になりかかった記述(『魏略』)を最後に行方不明。
・曹宇…260年、息子曹奐の即位にあたっての記述に散見された後に行方不明。
・曹茂…景元年間の加増の記述を最後に行方不明。


『集解』引沈家本さんによれば、『三国志』で諡号が確認できない五人のうち、曹拠・曹宇・曹茂は晋代まで生きていたので諡号が書かれていないのではないかとしています。




【初封と217年】
・211年
曹植(平原侯)・曹拠(范陽侯)・曹宇(都郷侯)・曹林(饒陽侯)・曹玹(西郷侯)
・215年
曹幹(高平亭侯)
・216年
曹彰(鄢陵侯)・曹袞(平郷侯)・曹峻(郿侯)・曹彪(寿春侯)
・217年
曹宗(トウ侯)・曹拠(宛侯)・曹宇(魯陽侯)・曹林(譙侯)・曹袞(賛侯)・曹峻(襄邑侯)・曹敏(臨晋侯)・曹幹(弘農侯)・曹整(郿侯)・曹均(樊侯)・曹徽(歴城侯)・曹茂(平輿侯)


赤字は217年初封。
青字は後継を立てた上での初封。
緑字は改封。
この順序が不明なんですよ。
ある程度、年齢順・身分順ということが見て取れますが、最年少にして王昭儀(陳妾)の子である曹幹のこと、216年まで待たされた曹彰、側妾組で唯一217年以前に名前のある曹彪など、例外が見られます。
また曹宗は曹拠、曹敏は曹均の子です。




【断絶】
曹熊…238年、死去した曹炳に子がなく断絶。
曹鑠…236年、死亡した曹偃に子がなく断絶。255年曹竦が家を継ぐが、領地は与えられなかった模様。
・曹幹…261年、曹幹が死亡した後の記述が欠落しているため行方不明。
・曹彪…249年、曹彪が叛いたために断絶。259年曹嘉により再興。




【娘】
清河長公主…夏侯楙の妻。
・金郷公主…何晏の妻。
・安陽公主…荀或の長子荀軍の妻。
・臨汾公主…明帝代、その侍女が異端を信仰したことにより処刑されている。
・升遷亭公主…桓階の子桓嘉の妻。
・高城公主…母は杜夫人。陸機『弔魏武文』に引く『魏略』に見られる。
・曹憲…献帝の妃。
曹節献帝の皇后。
・曹華…献帝の妃。




【関連すること】
・222年、封王の庶子を郷公とし、嗣王の庶子を亭侯とし、公の庶子を亭伯とする。*1
・224年、諸王を県王に改める。232年、再び改めて郡を藩国とする。(『曹拠伝』)
・景初・正元・景元の間に何度も加増された。(『武文世王公伝』)*2
・文帝の時代になってもまだひとりだけ王にならなかった。(『曹茂伝』)*3
・功の大きい者は県を食み、小さい者は郷・亭を食む。(『続漢書』百官志)
以下『集解』
・杜夫人は杜氏ではないか?*4
・『魏末伝』は何晏の母を沛王太妃とする。*5
曹操は曹均に張繍の娘を娶らせ、また曹均の子に曹昂の後継とした。顛倒錯乱、匪夷の考えである。
張繍伝によれば曹操は張済の妻を妾にしている。
武帝紀引く『魏書』に、「曹豹を饒陽侯に封じる」とあり、また『魏略』曰く「杜夫人が沛王豹を生む」とある。つまり曹林は一名を豹といった。*6






ふう。(゚д゚)
次回は文帝&明帝諸王を予定しております。

*1:文帝の子東海王霖の庶子高貴郷公曹髦や曹茂の子曹竦の陽都郷侯などがあると思われます。でも亭伯ってなんでしょう…?

*2:おそらく曹芳・曹髦・曹奐即位のことではないでしょうか。

*3:おそらく諸王の中でも県王止まりなのは曹茂だけでは?

*4:酒屋さんですね。呂布配下秦宣禄の妻で、秦朗の母である杜氏のことです。杜氏のことは注の『献帝伝』にしか見られないため何とも言えません。

*5:まったくその通りならいいなと思います。

*6:曹林伝は曹林の没年も書き忘れていますから、これも同様でしょうね。