渡邉義浩・仙石知子『「三国志」の女性たち』
この前の第五回三国志学会で買った一冊ですね。
去年の二松で行われた講演会で触れられて以来、ずっと欲しかったんすよー。
この本は、『演義』のストーリー解説と仙石先生の論文との、ふたつのパートに分かれております。『演義』ストーリーはかなり丁寧に書かれてまして、また各章を「孝」「悪」「義」「色」「愛」「賢」とテーマに分けて整理するなど、初心者も意識して書かれたのはないでしょうか。もちろん三国志を趣味とする猛者の方にも読みごたえは充分。幅広い層の三国志ファンにオススメしたい一冊ですね。
仙石先生の論文ですが、毛宗崗本における女性に関する表現の特徴を、過去の李卓吾本などとの対比によって解明する、という感じでしょうかね。普段あまり目にすることができない李本の記述や毛本の評が読めることもいいですね。
以下、「孝」「義」「色」「賢」をざっくりとした要約しました。なにぶんあまりいいまとめとは言えずわかりにくいでしょうが、そんな方にはこちらをドゾー( ゚∀゚)つ●
はしがき
劉安のエピソードを引き、妻を殺すような男を勧誘する劉備や、妻は殺しても母への孝を言い訳に断る劉安への疑問
義浩「なんでですか?」
仙石「”割股”でしょうJK」
明清代は「割股」という、肉を削いで食べさせるという「孝」の表現があった。
仙石「ここでは、劉備がたくさん食べたので、削ぎすぎましたね。だから死んだのでしょ」
曹操はその後劉安に褒美を与えている。
毛宗崗「劉安は、この金でまた別の妻を迎えることができる。ただ、恐ろしくてだれも嫁にはこないだろうが。どうしてって、また捕まえられて客に出されちゃうからさ」
義浩「ほら、毛宗崗も嫌がっているじゃない」
仙石「冗談ですよ(笑)」
沈伯俊「開玩笑(笑)」
はじがきは渡邉先生が書かれてらっしゃいます
孝の章―美女連環の計
○貂蝉の設定
『平話』…呂布の妻。王允に偶然発見され、計略に利用される
『演義』…王允の歌妓。養女同然に育てられてきた
○斬られる貂蝉
明の『風月錦嚢』内の「三国志大全」
呂布滅亡後、保身のために関羽に媚を売る貂蝉が描かれている。
関羽は貂蝉が呂布を誤らせ、また今不義を働こうとすること禍と考え、斬り殺す
毛宗崗は世間にこのような話があることを紹介して曰く、
「デタラメ。貂蝉に斬られる理由はなく、褒め称えられる孝のみがある。てか貂蝉とか麒麟閣や雲台並み」と、貂蝉を過去の漢の功臣と同格に高く評価している
(1)貂蝉の不貞
・二夫にまみえず、の理想からは清代でも貂蝉は不貞
・しかし歌妓という低い身分に対しては、貞節への期待度が低い
⇒妻から歌妓へジョブチェンジした理由
(2)貂蝉の孝
・美女連環は、貂蝉にとって親の王允への孝である
・しかも、血が繋がらない孝行は血の繋がる孝よりもさらに高い
⇒妻から養女へキャラチェンジした理由
(3)貂蝉の義
・毛評において、貂蝉は漢の功臣と見なされている
・同じく漢への義を示した女性として曹節がおり、李本から毛本において曹節は曹丕を非難する役に変わっている
貂蝉の行いは(2)と(3)において高く評価すべきものになり、またマイナス要素については(1)によって弱められている
義の章―劉備の夫人たち
この章に関することが、去年の講演会で触れられていました
○劉備夫人のまとめ
『三国志』
甘…妾・禅母・皇后
麋…正妻
呉…正妻・皇后
『演義』
甘…正妻・禅母・皇后
麋…妾・井戸ダイブ
呉…正妻・永理母・皇后
『毛本』
甘…正妻・禅母・皇后
麋…妾・井戸ダイブ・皇后
呉…正妻・永理母・皇后
○甘夫人
正史において
・皇后になるのは、「母は子を以て貴し」(by『公羊伝』)により追贈
演義において
・正妻になるのは、劉禅の正統性のため
○糜夫人
演義において
・妾になるのは、正妻役を甘夫人に譲り劉禅の正統性を保つため
・井戸ダイブは、嘉靖本からの伝統
毛本において
・皇后になるのは、井戸ダイブを高く評価するため。血の繋がらない後継への命をかけた義を称賛、趙雲並みの大功だと評価する
・それでも妾に留まるのは、やっぱり劉禅の正統性のため
・だったら井戸ダイブも甘夫人に譲ってよさそうだが、そこは嘉靖本以来のイメージが定着しているから
それに加えて血の繋がらない義を描きたかったからでしょうね。
あと、呉夫人が『演義』で劉永劉理の兄弟の母になっているのは何故でしょうか?彼女もまた未亡人として、しかも旦那と同族の劉備に嫁ぐという不貞をやらかしてますから、子供を産んでおかないとまずかったのでしょうか。
○孫夫人
毛本において
・長江ダイブは『梟姫伝』に基づくフィクション
漢と夫への義を貫く女性像がプラスされた
色の章―傾城の美女
これも講演で触れられておりました
「傾城の美女」は儒教において否定すべき、よろしくない評価
○赤壁における二喬と孔明の策
正史⇒演義
・曹植の「銅雀台の賦」を改変し、孔明が周瑜を戦わせるための策に利用する
・改変部分は「二喬欲しい」と「帝位への野心」
李本⇒毛本
「銅雀台の賦」の改変部分「二喬欲しい」がさらに改変されている
李本「二橋を東西に挟むこと、長空の蝃蝀のようである」
毛本「二喬を東南に攬り、朝夕これともに楽しみたい」
しかもこれに対して毛宗崗が評で曰く、
(毛 ゚∀゚)<元は上の文だった。でも孔明が周瑜の妻の名前を利用して、勝手に改変して策謀に使ったんだ
毛宗崗自身のアレンジを孔明の仕業とする設定に面白味がある
またこのネタを生かすために、正史から李本まで大橋小橋だったものを大喬小喬に変えたのも毛宗崗
ちなみに李本毛本両方を参考にしたと言われる吉川三国志では、
「二喬を東南に挟んで長空の蝃蝀の如く」
と両者を折衷したような文になっています。さすがに吉川先生が上述の解釈を知っておられたとは思えませんが、むしろ毛宗崗のような狙いならばこっちの方がよい気がしますね。毛宗崗のものではあまりにストレートな表現で。
(孔 ゚ω゚) 「喬を東と南に挟む」っておかしいと思いませんか?
(瑜 ゚д゚) たしかに・・・?
(孔 ゚ω゚) これは二喬を東南において両方に侍らすっていう意味だったんだよ
ΩΩΩ <な、なんだってー
賢の章―子は賢母を以て貴し
女性の価値は、×美 ○賢
特に母の賢は尊重された
○鄭玄の侍女
・鄭玄は清代考証学に大きな影響。「孔子に意義は言えても鄭玄の解釈に異議は唱えられない」ほど
・侍女の他愛もない会話にまで『詩経』が引用されるエピソードを毛本が挿入
これの出典というか元ネタはなんでしたっけ?毛宗崗オリジナルですか?
ただし、「胡為乎泥中」の作中における解釈が朱子学に基づいており、当の鄭玄の解釈とは異なる
このことから毛宗崗が知識人ではあっても学者クラスではなかったことがわかる
○黄夫人の出番
・『三国志』にはなし
・『襄陽記』に孔明が醜女を嫁に選んだ話がある
・「三国故事」には豊富
→からくりに長ける
→初めは見てくれを気にした孔明がその才に気づいて反省する
→実は美女
・『演義』李本までには登場しない
・『演義』毛本で初めて登場。ただし孔明の妻としてではなく諸葛瞻の母として描かれる
毛本は諸葛瞻が降伏を迷い、息子の尚に励まされるエピソードを削っている
黄夫人が登場するのは第百十七回で、諸葛瞻に影響を与えた賢母として語られている
(毛 ゚ω゚) 武侯夫人のことは、終わりになってやっと補われる。この叙述は素晴らしい
自演乙。
この黄夫人の出番の少なさ、諸葛瞻の母としてのみの登場は従来のイメージからはかなり意外でした。
では現在の日本において、諸葛亮の妻として賢女ぶりを発揮する黄月英の姿はどこから来たのでしょうね。吉川ですか?無双ですか?