三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

『続後漢書』関羽伝を本文校合

『続後漢書』の詳細につきましてはグーグル先生にどーぞ。ぼくも成立背景や性格などよくわかりませんで、その辺がまとまった研究資料があればなー、と思う今日この頃です。
今日この頃と申しますれば、話は変わりまして朝霧さんがスカイプでやってらっしゃる漢文訓読会にぼくも参加させていただいております。毎週金曜21時からですね。ちくまさんのおかげで『三国志』の原文にあたることはあまりないことですし、また漢文を読めないぼくとしましては大変勉強になっています。
http://www.ustream.tv/channel/5147734
で!
そんな読む機会ない『三国志』を読む機会があるのなら、せっかくなんで『続後漢書』との本文校合、異同を探してみようと思いました。訓読会の配信であんま喋んないのは裏でこれやってるからなんすよ。
基本的に『三国志』のコピペなので面白みは少ないですけど、よろしければどうぞおひとつ。

底本:
三国志』巻三十六 蜀書 関張馬黄趙伝第六 (二十四史校勘標点本 陳壽撰:裴松之注 北京:中華書局 1982.7)
『続後漢書』巻第十六 列伝第十三漢臣 関羽張飛趙雲陳到黄忠馬超 (国学基本叢書 郝経撰 北京:商務印書館 1958.5)

巻数が著しく異なるのは、もちろん『続後漢書』が漢の人物から列伝を始めているからです。すると今度は逆に五虎将伝にしては数字が大きいように思えますが、これは彼らの前に皇甫嵩たちなど後漢末の廷臣たちがいるからなんですね。
そしてもうひとつが、趙雲馬超の位置が逆ですね。蜀漢の臣としての比重がより大きい趙雲を先に持ってきたい意図があったと予想しますが、残念ながら肝心の趙雲伝が欠落してしまっているのでわかりません


三国志
先主郷里合徒衆
【続後漢書
昭烈郷里合徒衆

『続後漢書』は劉備を正統とし劉氏のみに本紀を立ててますから、当然劉備諡号で記します。以後『三国志』で"先主"となっている箇所はすべて"昭烈"と改められています



三国志
蜀記曰..曹公與劉備
【続後漢書
原注・蜀記曰..曹公與劉備

『続後漢書』では基本的に裴注もそのまま残しているようです



三国志
先主襲殺徐州刺史車冑使羽守下邳行太守事
【続後漢書
先主襲殺徐州刺史車冑使羽守下邳行太守事


三国志
曹公東征先主奔袁紹曹公禽羽以歸
【続後漢書
曹操攻昭烈昭烈奔袁紹禽羽以歸

曹操は呼び捨て。
"東征"と"攻昭烈"は『三国志』と『続後漢書』の主体の違いを表していると思います。伐つという意味を持つ"征"を『続後漢書』は使うことができません



三国志
紹遣大将顔良
【続後漢書
紹遣将軍顔良


三国志
然吾受劉将軍厚恩誓共死
【続後漢書
然吾受劉将軍厚恩誓共死


三国志
臣松之以為(中略)自非有王覇之度
【続後漢書
裴松之(中略)自非有王覇之度


三国志
従先主劉表
【続後漢書
従先主劉表

就…つきしたがう?
依…たよる?



三国志
先主自樊將南渡江別遣羽乘船數百艘會江陵曹公追至當陽長阪先主斜趣漢津適與羽船相值共至夏口
【続後漢書
昭烈自樊將南渡江別遣羽船會共至夏口

長阪の行がごっそり削除されています



三国志
劉備在許與曹公共獵(中略)若從羽言可無今日之困備曰是時亦為國家惜之耳(中略)安知此不為福
臣松之以為(中略)但事泄不克諧耳(中略)曹雖可殺(中略)故託為雅言耳
【続後漢書
昭烈在許與共獵(中略)若從羽言可無今日昭烈曰造次失之耳(中略)安知此不為福也耶
裴松之曰(中略)但事洩不克諧爾(中略)曹操可殺(中略)故託為雅言爾

裴注を改変しています
特に見逃せない劉備の弁明"是時亦為國家惜之耳"と"造次失之耳"。後者はどう訳したらよいのでしょうか



三国志
孫權遣兵佐先主拒曹公曹公引軍退歸
【続後漢書
孫權遣兵佐昭烈拒操破操于赤壁


三国志
乃封拜元勳
【続後漢書
なし


三国志
羽聞馬超來降舊非故人羽書與諸葛亮
【続後漢書
羽聞馬超來降書與諸葛亮


三国志
亮知羽護前乃答之曰孟起兼資文武
【続後漢書
亮故推重羽答之曰孟起兼資文武

プライドが高いことを知っていたので→尊重していたので



三国志
羽嘗為流矢所中,貫其左臂,創雖愈,每至陰雨,骨常
【続後漢書
羽嘗為流矢所中,貫其左臂,創雖愈,每至陰雨,骨常


三国志
然後此患乃除耳
【続後漢書
然後此患可除爾


三国志
時羽適請諸將飲食相對
【続後漢書
適請諸將飲食相對


三国志
而羽割炙
【続後漢書
而羽割炙


三国志
なし
【続後漢書
昭烈既得益州孫権遣使求荊州諸郡.昭烈不許.遂置長沙,零陵,桂陽三郡長吏.羽盡逐之.権大怒.遣呂蒙督兵取三郡.遂分荊州.以湘水為界.羽督南郡.零陵,武陵以西而已.

「而羽割炙引酒,言笑自若」「二十四年,先主為漢中王」の間に挿入される、三国志にはない段落です。元になった記事は魯肅伝でしょうか



三国志
是歲,羽率眾攻曹仁於樊
【続後漢書
是歲,羽使南郡太守糜芳守江陵.将軍傅士仁守公安.自率衆攻曹仁於樊

関羽伝のクライマックス、荊州戦の段はかなり増やされています



三国志
羽又斬將軍龐徳.梁郟﹑陸渾羣盜或遙受羽印號,為之支黨,羽威震華夏
【続後漢書
将軍龐徳力戦.羽禽斬之.羽又遣別将囲将軍呂常襄陽.荊州刺史胡脩南郷太守傅方皆降羽.陸渾民孫狼等殺県主簿南附于羽.羽授狼印.給兵還.其支党布于梁郟之間.皆受印号.自許以南.往往遥応羽.羽威震華夏


三国志
曹公議徙許都以避其銳,司馬宣王﹑蔣濟以為關羽得志,孫權必不願也.可遣人勸權躡其後,許割江南以封權,則樊圍自解.曹公從之
【続後漢書
操議徙許都以避其銳.司馬懿蔣濟言.于禁等為水所没.非戦攻之失.国家大計未足為損.劉備孫権外親内疎.関羽得志.權必不願也.可遣人勸權躡其後,許割江南以封權,則樊圍自解.操從之


三国志
羽罵辱其使,不許婚,權大怒.典略曰:羽圍樊,權遣使求助之,敕使莫速進,又遣主簿先致命於羽.羽忿其淹遲,又自已得于禁等,乃罵曰:「狢子敢爾,如使樊城拔,吾不能滅汝邪!」權聞之,知其輕己,偽手書以謝羽,許以自往
【続後漢書
羽罵辱其使,不許婚,權已溜怨欲囲羽羽圍樊,權遣使求助之,敕使速進,又遣主簿先致命羽.羽忿其淹,又自已得于禁等,乃罵曰狢子敢爾,吾抜樊不能滅汝邪.權聞之,遂欲囲羽.偽手書謝,以自往

裴注の『典略』を本文に組み込んでいますね



三国志
臣松之以為荊﹑吳雖外睦,而內相猜防,故權之襲羽,潛師密發.按呂蒙傳云:「伏精兵於[舟冓][舟鹿]之中,使白衣搖櫓,作商賈服.」以此言之,羽不求助於權,權必不語羽當往也.若許相援助,何故匿其形迹乎
【続後漢書
原注・典略云云即上本文.裴松之曰.荊﹑吳雖外睦而内相猜防,故權之襲羽,潛師密發.按呂蒙傳云.伏精兵于[舟冓][舟鹿]之中,使白衣搖櫓作商賈服.以此言之,羽不求助于權,權必不語羽當往也.若許相援助,何故匿其形迹乎.権之手書誤羽,許以親往及匿其形迹.皆取偽之術也.典略所載為得其情.故取之


三国志
なし
【続後漢書
及羽得于禁人馬数万.糧食乏絶,擅取権米湘関.権大怒.為牋刀與曹操,請討羽自效.遂発兵遣呂蒙等襲羽.

「又南郡太守麋芳在江陵」の前に挿入される形になってます



三国志
又南郡太守麋芳在江陵,將軍傅士仁屯公安,素皆嫌羽自輕己
【続後漢書
麋芳傅士仁皆嫌羽自輕己


三国志
不能克,引軍退還.權已據江陵,盡虜羽士衆妻子,羽軍遂散.權遣將逆擊羽,斬羽及子平于臨沮
【続後漢書
不能克,引軍還.權已據江陵,盡虜羽士衆妻子,羽自知孤窮.乃西保麦城,兵皆解散.纔十余騎,権遣将潘璋迎撃羽及子平于臨沮.皆遇害.


三国志
追諡羽曰壯繆侯.子興嗣.興字安國,少有令問,丞相諸葛亮深器異之.弱冠為侍中﹑中監軍,數歲卒.子統嗣,尚公主,官至虎賁中郎將.卒,無子,以興庶子彝續封
【続後漢書
権遂全拠荊州,表送羽首于曹操.操并求其屍,以諸侯礼葬之.羽初出軍囲樊,夢豬齧其足,語子平曰吾今年衰矣.果不得還.景曜元年,追諡曰忠義.羽儀状雄偉,嶽嶽尚義,儼若神人.好春秋左氏傳,諷誦略皆上口.然剛而自矜.終以取禍云.子興嗣.興字安國,少有令聞,丞相亮深器異之.弱冠為侍中﹑中監軍,數歲卒.子統嗣,尚公主,官至虎賁中郎將.卒,無子,以興庶子彝續封.景曜末年,龐紱子會従鍾訒入寇,盡滅關氏家

基本的には裴注を組み合わせた本文になっています。
諡号が異なることに関しては、郝経ではなく清乾隆帝の犯行だそうです。ツイッターで教えていただきました。関羽諡号が悪諡かどうかに関してはコチラが参考になります http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3512;id=