三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

第5回「より深く理解するための「三国志」講座」

工学院大学孔子学院開講講座
――より深く理解するための「三国志」講座
第五回「歴史書と出土品から見る『三国志』の実像」



満田 剛(創価大学講師)
満田剛(みつだ たかし):1973年生。創価大学大学院文学研究科博士課程単位取得修了。現在、創価大学非常勤講師。仁文学博士。著書に、『三国志―正史と小説の狭間』(白帝社)『三国志 赤壁伝説』(白帝社)。



参考リンク(より深く理解するための「三国志」講座)
http://www.kogakuin.ac.jp/cik/course/2010/sep/b_sangokushi.html


下書きは・・・書いてたんですよ・・・。
公開するのをぽっかり忘れてましたわ。


さてさて!全6回の工学院三国志講座もいよいよ終盤、第5回のゲストは三国志街道などでお馴染みの満田先生でした。ぼくは元々満田先生のブログでこの工学院三国志を知りましたもので、そういう意味で待望の第5回でした。
今回のテーマは「歴史書と出土品から見る『三国志』の実像」ということで、前半の歴史書に関しましてはこれは陳寿三国志』の性格を、先生ご専門である王沈や韋昭などを交えつつお話しされていました。後半の出土品では一昨年の大三国志展の様子も紹介されました。
そして次回、いよいよ最終回は明後日!12月24日!
主宰である平井徹先生が再び担当なされまして「諸葛孔明の名文『出師の表』を読む」の予定だそうです。演義日本語訳の読み比べなどもあるとのことで、楽しみにしております。
もちろんぼくは行きますよ!たとい雨が降ろうが女の子が降ろうが、きっちり皆勤賞とさせていただきたいと思います*1
またラストということで、打ち上げ的なことも予定されているとか。
まぁ、なにせ24日ですし?
残念ながらリア充のおまいらは来られないと思いますけど、ご都合つきます方はぜひご一緒に聴講しませんか?


以下今回の受講ノートを写しですです。


○華麗なる暗黒時代
・世界の寒冷期
紀元前はけっこー温暖だったのに、三国時代前から冷え始め、4世紀の五胡代でピーク
そのせいで五胡代は暖かい江南に人口が流れたと聞いたことあります
新宗教の時代―殊に道教と仏教


○『三国志』か、『魏書』・『蜀書』・『呉書』か
・『華陽国志』陳寿伝に「三国志」とある
・新旧唐書によれば『三国志』呉書が21巻あったとされ、現在は亡き1巻が陳寿の自序だと考えられている
・ただ『魏国志』『蜀国志』などと別々に把握されていることもあり(『旧唐書』経籍志など)


○高貴郷侯紀・斉王紀
1、裴注に引かれる書物は、陳寿以後のものが多い
⇒この箇所における陳寿の参考資料がわからない
2、王沈『魏書』・『魏略』が裴注で出てこない
それだけ『魏書』&『魏略』と『三国志』との間に異同がなかったってことでしょうか
3、本文において、詔勅・上表文・逸話などの引用率が際立って高い
陳寿が自分自身の記述をするのを極力避けたか


○異民族伝
1、烏丸・鮮卑については漢末魏初のことしか書こうとしていない
2、東夷も『三国志』以前の史書を補う程度にしか記述しようとしていない
3、西方・南方の異民族の記述がなし
→『魏書』でもまだ西方民族に関する逸文が見つかっていない
→東方異民族に縁のある司馬氏に配慮?
司馬氏の功績を掲げるために東方異民族の記述しかなく、逆に西方となると政敵曹氏の功績が大きいため記述しなかったという可能性があるとのこと。


○『三国志』の元ネタ
・王沈『魏書』
・韋昭『呉書』
・譙周『蜀本紀』?
陳寿の当時は、上記二冊がすでに読める状態にあった。陳寿はそれを前提に『三国志』を書いている。
三国志』は三国時代をあまねく記したというより、上記を始めとした先行史書の切り貼り要素の強い、三国時代のダイジェスト本。
『魏書』が44〜48巻であったのに対し、陳寿魏志』は30巻なのでだいぶ削っているはず。


○王沈『魏書』
魏王朝公式の編纂
・政策・政治において魏の公式見解を示すような内容だったと思われる
・王沈は魏末において裏から司馬氏を支えたフィクサー禅譲までの裏事情を熟知する人
・急死したが、本来なら晋初の宰相クラスの人
陳寿と王沈に共通する劉備礼賛のスタンス
赤壁で"劉備に負けた"とする
→明確に曹操のライバルとして位置付ける


○韋昭『呉書』
・『呉志』にはなく『呉書』には立伝されていたと思われる人物
陶謙・趙咨・鄭泉・丁固・李肅・董卓・劉虞・袁紹袁術張繍など。
→このように後漢時代の人物が見られるのは、孫呉後漢を受け継いで天下統一する"予定"であったからか
・政敵、孫邵の列伝がない


陳寿は『魏書』『呉書』の構成をかなり受け継いでおり、陳寿はそれらの史料を参照する中でその偏りも受け継いだ。

司馬師列伝は『魏書』にあったらしい。ということは同様に司馬懿司馬昭らの列伝があった可能性が高い
※三国は政治対立はあったが、物的交流は依然行われた

*1:前回の第4回は記事にしませんでしたけど行きましたよ。あまり縁のない文学のお話しでしたので大変面白かったです。記事はあの方がまとめてくださるから要らないなと思いましてw