三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

新王朝代の趙王

センセーショナルなタイトルをつけんとす。
王郎を担ぎあげ、河北で光武帝と凌ぎを削った、自称趙王 劉林にまつわる与太話です。


彼の肩書の怪しさについては、やる夫さんとこにも書いてありましたのでぼくもそうらしいってことは知ってました。
詳しくは、いつもお世話になっております、てぃーえすのワードパッドさんに教えていただきました。
てぃーえすのワードパッド「趙繆王」
この『漢書』と『後漢書』との矛盾を李賢はもとより集解勢も指摘していません。しないどころか集解には以下のように注があります。

姚之駰曰、上至邯鄲、趙王庶兄胡子進馬醢。

姚之駰は清代の人で『後漢書補逸』の編纂をした人物、ってウィキが言ってた。
ここで趙王の庶兄として扱われる劉胡子(劉林)。*1
この趙王が誰を指しているのか大変気になりますが*2、いずれにしろ清代の大学者さんたちもまた劉林を趙王家の関係者だと考えていたようです。逆に、それが指摘されるようになったのはいつからなのか、かなり最近か。あるいはずっと前から指摘がなされ、姚之駰さんたちの間ではやっぱ趙王の縁者じゃないのと結論が出ていたのか(そしてそれを集解に書き洩らしたのか)。
さー、どーなんでしょうねー。

*1:後漢紀』注に「惠棟曰、趙繆王子林、蓋字胡子也」

*2:後漢書』にある記述だけで考えれば、劉元の嫡子(劉林の弟)が趙王に就いていたことになると思いますが、、、