三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

郝経『続後漢書』目録



『続後漢書


ぱっと見、謝承や袁宏などたくさんある後漢時代史のうちの一冊のように思えますが、扱ってるのは三国時代。『続漢書』と紛らわしい。
三国時代を扱っていながら大変マイナーな史書で、ネットを引いてもびっくりするほどヒットしません。
この本が面白いのは、

帝紀二巻
第一巻
・昭烈皇帝
第二巻
・末帝

この様に蜀漢を正統にする紀伝体史書なのです。
と、は言え実際は『三国志』の焼き直しっぽいガッカリネタ本。その辺の違いは、一応こんなこともしてみました。
「三国与太噺」『続後漢書』関羽伝を本文校合
漢書』『後漢書』に続く漢王朝シリーズの第三弾。『資治通鑑』や『十八史略』みたく蜀漢verに『三国志』をバージョンアップさせようとしたのでしょう。赫経本人は宋末元初ではそこそこウェイトある人のようなので(枕流亭さんのところが詳しいです)、面白そうではあるんですけどねー。
せっかくですので、郝氏『続後漢書』の目録を写しました。ネット広しと言えど、『続後漢書』の目録を見れるのはココだけ・・・じゃないですか?そうじゃなかったらマジ俺貝なしなんですけど(笑)
なお『続後漢書』は同姓同名の別人で2冊あります。南宋の粛常が書いたものと、元の郝経が書いたもの。今回は後者の郝氏版を扱います。
『続後漢書』目録


まず『続後漢書』の最大の特徴である昭烈帝と末帝、劉備劉禅の本紀はご覧のとおりですね。もちろん本文でも全て改められているはずです。
気になる点は劉禅諡号。ちなみに肅氏では少帝でした。裴注『蜀記』では思公と諡されたとあり、また劉淵が諡した懐帝などが知られていますが、ここでは諡号無しとして末帝と呼ばれています。


さあ列伝行きましょう。
列伝一は『蜀書』第四に準じてますね。肅氏はこれに孫夫人と李昭儀と北地王劉椹を加えてます。李昭儀と劉椹は劉禅の妻子で蜀滅亡に逢って自害した人。孫夫人はもちろん孫尚香ですね。
ところでここで名前が見られる劉虔。"虔"の字の中身は本来「七+文」ですが、手元の『続後漢書』では「七+夂」になっているんですよ。なんぞ事情があるのでしょうか。
列伝二は面白いですよねぇ。
後漢書』の宗室伝が劉嘉とか劉茂とかを含んでいることを考えると、彼らも宗室と呼んでも…よろしいのでしょうか?劉子敬カワイソス


第三から十一まではいわゆる後漢末の朝臣・群雄が並びます。
董卓袁紹ら群雄は、もちろん『三国志』にも立伝されており、また三国時代正史・バージョン呉とでも言える韋昭『呉書』でもやはり該当の列伝はあるらしく、彼らを立伝するということは乃ち後漢末の動乱を鎮め王朝を受け継ぐという意思表明なのでしょう。なお『三国志』がそれぞれの国家ごとに関係の深い群雄を分けたのに対して、この箇所に一括していることも『続後漢書』の特徴だと思います。
一方で皇甫嵩や荀爽など後漢官僚、あるいは既に『後漢書』に立伝されている人物まで名前を連ねていることの理由はちょっとわかりません。
あとこの辺で気になるのは、そうですね、董承が列伝五に含まれているのが意外ですね。劉備にとって同盟者ですのに。


第十一はどういうカテゴリーなのでしょう、、
太史慈と許劭の食べ合わせがとてもシュールです。
一方陳登は肅氏でも陸績や袁渙と一緒というよくわからない仕打ち。


第十六に見られる"楊容"ですが『三国志』含め諸史料には見られない名前です。何かしらの理由で名前が改められてるのだと思いますが、本文が手元にないので果たして何者だか・・・
また第十七の"劉剡"も正体不明ですが、おそらく字面的に劉琰じゃないですか?


列伝第二十二からは魏臣列伝となります。
一応はこのように蜀漢政権と区切られていますが、過激な表現をしようと思えば、列伝五に曹操伝を置くという手もあったのかもしれません。実際に肅氏では列伝はすべて蜀臣のみとし、魏と呉は載記としています。『晋書』の手法ですね。


列伝第二十二から二十五までが魏の皇帝。当然諡号ではありません。
第二十六上は家人伝ということですが、劉備夫人らが皇后であることに対して、こちらは"后"の一字。后一字でも天子の妃を意味していると思うのですが、とりあえず劉備夫人との差別は見られます。
第二十六中下は曹操曹丕の諸子らですが、まったく『三国志』任城陳蕭王伝と武文世王公伝そのままです。わざわざ『三国志』の通りに曹彰らを分けなくてもよいと思いますが、いえそもそも曹操の諸子なぞ全員載せる必要はあまりないのではと思います。これでは劉備の家系の貧弱さを際立たせるだけではないでしょうか。


これを打つまで、てっきり郝昭は『三国志』に立伝されているものだと思い込んでいました。


第三十三の"邢容"もまた正史には見られない名前です。
が、『魏志』列伝十二にいる"邢顒"が『続後漢書』では見当たりませんので、おそらくこの人物を指しているのでしょう。『三国志』に立伝された人物が『続後漢書』で削除されることは滅多にありませんので。
となりますと先ほど正体不明だった"楊容"もまた"楊顒"と思われ、果たして楊顒はちゃんといました。即ち「容→顒」が正しいのであり、そして犯人はおそらく清の嘉慶帝こと愛新覚羅顒琰でしょう。思い返せば同じく劉琰が劉剡となっていたのもきっと彼の仕業ですよ。
という訳でこの目録においては避諱により「容→顒」、「剡→琰」となります。
なお『続後漢書』(あるいは『四庫全書』)の避諱については以前この記事で触れましたのでご参照ください。
「三国与太噺」『続後漢書』黄忠伝を本文校合では終わらなかった
ちなみに嘉慶帝、そもそも本来の名前は"永琰"であるところを即位にあたって避けにくい"永"を"顒"に改めたというエピソードがあります。しかしおかげで割を食った人もこの様にいた訳ですね。反省してください。


列伝第四十六からは呉になります。
第四十九上は孫呉の家人伝ですがここでも曹魏と同様に、潘氏、全氏、朱氏、滕氏に后の字が。それは即ち、陳寿が蜀と呉を差別したそれとは違い、郝経は魏と呉を差別する必要がなかったということでしょう。


孫邵キテル―(・∀・)―!!


孟宗竹も意外ですが『三国志』で立伝してもらってないんですよね。
一方それとは逆に孫綝は『続後漢書』では孫峻伝に組み込まれてしまってます。先ほども触れましたが、『三国志』に立伝された人物が『続後漢書』で外されるというのは珍しいですよ。
また同じく第六十に見られる"滕允"は当然滕胤ですね。これは雍正帝胤蘅のせいだそうです。


三国志』では方技伝しかありませんが、『続後漢書』はこれら類伝がバカ多いのです。第六十二から始まり第七十九まで。まことに多い。
第六十二は儒学伝。
何休から蔡元までは『後漢書』儒林伝下に、許慈以降は『蜀志』に見られる顔ぶれそのままですね。そして先ほど説明した通り、穎容は避諱なので・・・と思いきや彼は本物です。ややこしいよ馬鹿!
ほんとの避諱は蔡元と鄭元。殊に後者は大学者鄭玄のことですね。「元→玄」に関しては先ほどの過去記事にありますのでよろしくお願いします。


第六十三は文芸。
陳寿陳寿陳寿。こればっかりは『三国志』にはできない芸当ですね(笑)
でもちゃんと漢の扱いです。よかったね、陳寿
しかし陸機ともかく、左思は呉でしょうか・・・?


第六十七は死国
北地王椹は最初の方にも、劉濬伝に附伝されるという形で顔を出していた劉禅の息子です。まさか再登場するとは・・・大したヤツだ。


第六十九は技術。
甘始に附伝されている東郭延年と封君達って人名なんですか。やはり『後漢書』甘始伝に見られるそうで。びっくりしました。
第七十一は叛臣。
孟達ともかく黄権をここに入れては可哀そうではないですか?劉備だって「私が黄権を裏切ったのだ」って言ってたのに。
七十二より七十四までは簒臣、取漢、平呉と三国を滅ぼした人々です。
簒臣伝はすごいですねこれ。お隣さんの本紀にまで手を出すとは、郝経、さすが天才・・・。
下巻も『晋書』の目録冒頭にたむろってる人ばかりです。


第七十五は列女伝。盛道妻までが漢、羊耽妻までが魏、あとが呉です。旦那の名前ですと分かりにくいですので、カッコつけでよく知られている名前も書いときました。
後漢書』『晋書』列女伝、皇甫謐『列女伝』から主に選ばれているようで、まぁそうですね、あまり面白味はないですかね、、、
孫魯班とかそのくらいロックなところを見せて欲しかったものです。しかし魯班はネタ枠としても、諸葛瞻母などは本気でいてもおかしくないと思うのですが、ダメだったんですかねー。
なお、最初にいる"宏農王"妃はどう考えても劉弁の奥さんですが、これは乾隆帝弘暦を避諱したもので避諱としては大変有名な例です。
ですが、世間一般では有名でも自分は今、今初めて知りました(笑)
今初めて知ったということは、それはここまで出ていた沢山の"宏"さんを全部チェックしてなかったということですね!もうヤです、めんどくさいですw
という訳でどの宏さんがホンモノでどの宏さんがニセモノかということは、皆さん自身の目で確かめていただければなと思います。




なお目録で色分けは列伝の有無によって以下の様な分類になってます。
デフォ…『三国志』にアリ
赤字……正史にナシ
青字……『三国志』にナシ、『後漢書』にアリ
緑字……『晋書』にアリ
ご覧のように『後漢書』『晋書』からふんだんに引っ張ってきていることが分かりますね。いーのかなこんなことしちゃって。
なお『三国志』に列伝がある者は原則として引き継がれており、最低でも附伝に名前が見られるのですが、ただひとりだけ『三国志』方技伝にいたはずの杜夔、彼ひとりだけが一切『続後漢書』の目録に名前がありません。忘れられちゃったかな?なんにせよ、乙。


では最後までご覧いただきありがとうございました。