三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

呉蜀の領土協定と封建

(黄龍元年)六月,蜀遣衞尉陳震慶權踐位。權乃參分天下,豫、青、徐、幽屬呉,兗、冀、并、涼屬蜀。其司州之土,以函谷關為界,造為盟曰… (『三国志』呉主伝)

孫権が即位したことで呉蜀は盟を改め、その中でお互いの(将来魏を滅ぼしたと仮定しての)領有を、呉が豫・青・徐・幽州、蜀が兗・冀・并・涼州と定めました。これに伴って、従来お互いが任じていた州牧を上記の領有に合わせて移動させたんだそうですが、どうやらそれと同じことが王国にも当てはまるようです。


蜀の諸侯王
魯王【豫州】(〜229年)⇒甘陵王【冀州】(230年〜)
梁王【豫州】(〜229年)⇒安平王【冀州】(230年〜)
・安定王【涼州】・西河王【并州】・新平王【雍州】
・北地王【涼州】・新興王【并州】・上党王【并州


呉の諸侯王
南陽王【荊州】・魯王【豫州】・斉王【青州】・琅邪王【徐州】・会稽王【揚州】
・豫章王【揚州】・汝南王【豫州】・梁王【豫州】・陳王【豫州】・淮陽王【兗州】
・東平王【兗州】・陳留王【兗州】・章陵王【荊州】・代王【幽州】
成紀王【涼州(278年〜)・宣威王【涼州(278年〜)・中山王【冀州(280年〜)


このように、少なくとも呉蜀の協定が存在した期間では互いに互いの領有を侵すような封建はしていないこと、また孫権即位の翌年に豫州にいた蜀の二王が冀州に遷っていることがわかりますね。