三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

『吉川三国志』と『通俗三国志』の関係

 『吉川三国志』が『通俗三国志』に影響されていることは、魏延暗殺未遂や漢の寿亭侯など、現代のぼくらが普段手に取る「日本語訳『三国志演義』」にはない、李卓吾本特有のエピソードを盛り込んでいることからよく知られています。
 ですがさらに細かく見ますと、それは単に影響を受けたというに留まらず大変密接に取材していることがわかります。上述のようなエピソードの有無ほどの大きな共通点だけではなく、かなりの細部においても似通っている箇所が多々あるからです。例えば黄巾の乱だけを見ても、
 ・張宝張梁の序列を逆転して書かれていること
   例)「張角の兄弟、張梁張宝のふたりを、天公将軍、地公将軍と呼ばせて…」
 ・「黄"夫"当立」という表現
 ・劉家の将来を予言する人物の名前が「李定」となっていること
 ・『後漢書』・『三国演義』では「張鈞」とある人物が「張"均"」と表記されていること
以上はいずれも現行の毛宗崗本『三国演義』には見られずに、『通俗』・『吉川三国志』(あるいは李卓吾本)に共通して見られる特徴です。殊に張均の例のような僅かな表記の差などは、まさしく吉川先生が『通俗』を傍らにして執筆されていることがわかると思います。

 
 またこのような箇所もあります。

その姿を「演義三国志」の原初にはこう書いている。
―香象の海をわたりて、波を開けるがごとく、大軍わかれて、当る者とてなき中を、薙ぎ払いてぞ通りける……。*1

関羽顔良目掛けて吶喊するシーンですが、該当する箇所を『通俗』・毛本『三国演義』で比べると、吉川先生の言う「演義三国志」が『通俗』の方であることが分かります。
『通俗』(『通俗絵本三国志』文事堂(1887) )
 香象の海を渡て波を開るが如く、両傍へばっと分れて中を開て通り…
演義(立間訳(1968) )
 河北の軍勢わっと波のように分かれるところを、顔良目指して殺到した。


 ちなみに、吉川三国志が種本にした『通俗三国志』と、現在日本語訳として流布している『三国志演義』とは、単に底本にした版本が違うことに加え、『通俗』が原書『三国演義』の忠実な直訳本ではないことから内容が意外に異なります。ちょうど『吉川三国志』が『通俗』を"語りなおした"歴史小説であるように、『通俗』も中国小説『三国演義』を江戸時代の日本人向けに語り直した軍記物であるそうなのです*2


 よって、吉川三国志を現行の『三国演義』と比較してみますと、
(1)「李卓吾本」を引き継いでいる箇所
(2)『通俗三国志』を引き継いでいる箇所
(3)吉川オリジナルの箇所
(4)「毛宗崗本」に基づいている箇所

に分類できるかと思います。

*1:講談社文庫版(1980)第三巻p378

*2:昨年の三国志学会にて藤巻尚子先生がおっしゃっていたことには、『通俗』には『太平記』的な表現の援用がしばしば見られるそうです。また日本人には分かりにくい箇所、たとえば少帝弁が玉璽を失う場面で、そもそも玉璽とは何ぞやという説明が挿入されるなどの加筆があるといいます。また上田望「日本における『三国演義』の受容(前篇)」では、「主要登場人物の幼児期の不思議なエピソードは削除される」「極めてまれであるが、「梅酸の渇を止むる」逸話など原文にない挿話や注釈を加えている箇所がある」との徳田武氏の指摘を引いておられます。また久保天随も『新訳 演義三国志』の序文で『通俗』が単なる直訳本ではないことを指摘しています