時には昔の話を… 【孟不令休】
『三輔決録』にいう。伯郎は涼州の人で、名を不令休といった。その注にいう。伯郎の姓は孟、名は他、扶風の人である。(『正史 三国志1』ちくま学芸文庫)
孟達の父、孟他。またの名前を孟不令休。
不令休?まさかの三字名?
この疑問をかつて「三国志博物館集解」さんが記事にされていました。
最後に一つ疑問を。『魏志』明帝紀の注、この話が載ってる箇所、「『三輔決録』にいう。伯郎は涼州の人で、名を不令休といった」(ちくま訳、原文「三輔決録曰伯郎涼州人名不令休」)とありますが「名を不令休」って、三文字の名なんでしょうか?でもその後注に「名は他」とありますし、どういうことなんでしょうか?ご存知の方、御教授お願いします。
「三国志博物館集解」さんは僕が初めて見た三国志ブログでして、あの頃は大変勉強させていただいておりました。それから1年くらいした後、去年の冬ごろですか、その頃僕は二字名について興味を持っておりまして、そこでこの記事の事を思い出して、二字名でさえ当時は少ないのにそれの上をゆく三字名!ということで、前のブログでその疑問を記事にしたんです。当時の僕はまだ、ちくま正史が完璧至高と信じて疑わない、いたいけな少年でした。
そこへコメントしてくださった方こそ、かの「てぃーえすのワードパッド」のT_Sさんだったのです。T_Sさん曰く、令も休も「良い」という意味で、ここは「名は令休ならず」、つまり「評判はよろしくなかった」と読むべきなのだと。
こうして僕の疑問はすっきり晴れた訳ですけど、これがきっかけで「てぃーえすのワードパッド」さんを知り、さらにそこから飛んで「雲子春秋」さんを知り、そして今ある中国史関係のご縁に繋がっておりますので、振り返ればすべてはT_Sさんにコメントをいただいたことから、ひいてはこの孟不令休さんのおかげで今のご縁がある訳でして。
そういう意味で僕にとって孟不令休は大変思い出深い人物なのです。