阿翁と呼ばれて
曹幹は一名良という。良は本来陳妾の子であったが、良が生まれると陳氏は死んだ。太祖は王夫人に彼を養育させた。良が五歳のときに、太祖は病気が重くなったので、太子に遺令を与えた、「この子は三歳のとき母をなくし、五歳で父を失うことになる。だからおまえに頼むぞ。」太子はそのため他の弟たちより目をかけた。良は年少であったためつねに文帝をお父さんと呼んだ。帝は良に向って、「わしはおまえの兄なのだぞ」といった。文帝はまた彼がそんなふうであるのをあわれんで、いつも〔父母を失った〕彼のために涙を流した。*1
曹操が亡くなった当時で5歳、幼い曹幹が年の離れた長兄を父と呼んだエピソードはとてもよく知られています。
しかしこないだの記事にした通りこの時にはもう曹協に子供がいる訳ですので、つまり曹丕には弟とあんま年の離れてないお孫の曹尋がいたのです。あの方恒例の磯野家で喩えるなら、タラちゃんが産まれて一家喜んでたところに波平に弟ができるようなものです。さすがは魏武王と言うほかありません。
また、ちくま訳では単に"お父さん"としていますが、原文では"阿翁"。
辞書を引けば、祖父、舅、父、といった意味があるそうです。
なんらかの理由があって「お父さん」と訳されたのでしょうが、あるいは「おじいちゃん」とか「お義父さん」とか、もう少し違うニュアンスなのかもしれません。