威弟惠,樂安太守。
文章敍錄曰:惠字稚權,幼以才學見稱,善屬奏議。歷散騎黄門侍郎,與鍾毓數有辯駮,事多見從。遷燕相、樂安太守。年三十七卒。*1
夏侯恵がいつ燕国相に遷ったか定かではありませんが、劉劭伝を見ると青龍年間では散騎侍郎にあったようです。
燕王と言えば他でもない皇族筆頭曹宇。明帝の側近だった準皇族が燕王の臣に遷されるというのは、明帝晩年の大将軍曹宇を頭とした皇族中心体制の一環に思えるのですが、やっぱり燕国相に遷った時期が分からないので想像に過ぎません。そうだったら面白そうなんですけどねぇ・・・