後漢の皇(帝)号追贈
『後漢書』本紀を流し見ただけなので、もっといっぱいあれば教えてください!
【安帝】
清河王慶(父)・・・孝徳皇*1
【桓帝】
蠡吾侯翼(父)・・・孝崇皇
河間王開(祖父)・・孝穆皇*2
【霊帝】
解瀆亭侯萇(父)・・・孝仁皇
解瀆亭侯淑(祖父)・・孝元皇*3
なぜ「皇帝」ではなく「皇」という称号を贈っているかについては、いつもの方のどこかで先週読んだのですが・・・ブクマに埋もれてどっかになくしちゃいました、、、
また他に傍系から継承した、たとえば質帝などのケースはわかりませんでした。劉秀父の南頓君への追贈なんかも。
ですが、基本的に安帝・桓帝・霊帝という代表的傍系皇帝はいずれもキチンと追贈を行っています。
この心がけが魏の三少帝には何故なかったのでしょう・・・
*1:・「(建光元年) 戊申,追尊皇考清河孝王曰孝紱皇」(安帝紀建光元年)
・「太后崩,有司上言:「・・・・・・漢興,高皇帝尊父為太上皇,宣帝號父為皇考,序昭穆,置園邑。大宗之義,舊章不忘。宜上尊號曰孝紱皇,皇妣左氏曰孝紱后,孝紱皇母宋貴人追謚曰敬隱后。」(清河孝王慶列伝)
*2:・「(本初元年)九月戊戌,追尊皇祖河間孝王曰孝穆皇,夫人趙氏曰孝穆皇后,皇考蠡吾侯曰孝崇皇。」(桓帝紀本初元年)
・「梁太后詔追尊河間孝王為孝穆皇,夫人趙氏曰孝穆后,廟曰清廟,陵曰樂成陵;蠡吾先侯曰孝崇皇,廟曰烈廟,陵曰博陵。」(河間孝王開列伝)
*3:・「(建寧元年)閏月甲午,追尊皇祖為孝元皇,夫人夏氏為孝元皇后,考為孝仁皇,夫人董氏為慎園貴人。」(霊帝紀建寧元年)
・「建寧元年,竇太后詔追尊皇祖淑為孝元皇,夫人夏氏曰孝元后,陵曰敦陵,廟曰靖廟;皇考長為孝仁皇 ,夫人董氏為慎園貴人,陵曰慎陵,廟曰奐廟。」(河間孝王開伝)