三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

陳寿と丁固

この流れ・・・契約するしか!
「てぃーえすのワードパッド」‐究明(4/21)
「雲子春秋」‐陳陳丁(4/22)


 これは意外な事実でした。
 そして雲子さんの記事を読んで思い出したのですが、この丁固、韋昭『呉書』には立伝されていたらしいですよ。満田先生のご著書によれば以下のようです。

『呉志』には伝がないが『呉書』にはある人物として、趙咨・沈珩・鄭泉・馮熙・陳化・丁固・李粛などと共に劉虞・陶謙などの後漢時代の人物(董卓袁紹袁術なども可能性がある)を挙げることができる。*1

 『呉書』には立伝されていたはずの丁固が、陳寿によってなかったことにされてる・・・


 呉の旧臣らにとって丁固とは、ソウルジェム真っ黒の末期孫呉を支えた名宰相。なのにその列伝が削除されてるだなんて………こんなの絶対おかしいよ!
 思い返せば同僚の孟宗の話題も乏しかったりと、呉末期と言えばいかにも「滅んで当然!」みたいなイメージを『三国志』からは受けます。
 裴啓『語林』に収録された「陳壽將為國志、謂丁梁州曰」は、そういった『三国志』に対する旧呉の憤りの現れだったのかもしれませんね。

*1:満田剛三国志 正史と小説の狭間』p35。もっともこの文章の主眼は『呉書』に立伝された後漢時代の人物ということなのですが、