三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

并州刺史丁原 その1

 以前書いたこちらの記事の続きになります。


  荊州刺史丁原(2011/4/4)


 本来は并州刺史であった丁原が、演義類では"荊州"になっているということを、董卓丁原の対決の場面から書いたのが前回の記事になります。
 しかしこの部分を見逃しておりました。原文は李卓吾本、訳文は『通俗三国志』のものです。

【原文】
(何)進乃降詔暗差使命。星夜前去、詔曰……先発四道詔書。急詔四路軍馬。第一路、東郡太守橋瑁。第二路、河内太守王匡。第三路、武猛都尉并州刺史丁原。……

【訳文】
何進遂に諸人の諫を用ひず、剰へ詔を降して、武士を招く。其詔に曰……。先詔書を発して速に四道の軍馬を召す。第一東郡の太守橋瑁、第二並州の刺史丁原、第三河内の太守王匡……



 董卓との対決が初登場かと思っていたのですが、それより前に何進が諸侯を招集する場面にも丁原の名前がありました。そしてこちらでは"并州刺史"だったのです。ただこれは諸版本の多くで同様に見られるのですが、肝心の毛本のみはこの箇所が削られているため丁原の名前自体がありません。
 つまり毛本以前の『演義』において丁原は、もと并州刺史だったところが何進誅殺と董卓入城を挟んで荊州刺史へと遷っているのです。
 果たして意図的な設定か、あるいは誤字による矛盾か、いずれでしょうか?