三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

吉川三国志 【劉安】

 彼の嫁スープがなぜ高く評価されているかについては、渡邉先生と仙石先生の共著『三国志の女性たち』が詳しく、面白いのでぜひ読んでみてください。
 また劉安は『三国演義』の架空の人物ですのでこの行為も宋明時代の価値観に基づいていると思われますが、ただ三国時代でも臧洪が似たような「殺其愛妾以食將士。將士咸流涕,無能仰視者。」をして評価されている例があります。
 その、現代日本人から見るとマジキチにしか思えない行動に対し、吉川先生は本文中で唐突に「読者へ」と、釈明を述べています。以下に全文を引用します。太字は自分のものです。

=読者へ
 作家として、一言ここにさし挟むの異例をゆるされたい。劉安が妻の肉を煮て玄徳に饗したという項は、日本人のもつ古来の情愛や道徳ではそのまま理解しにくいことである。われわれの情美感や潔癖は、むしろ不快をさえ覚える話である。
 だから、この一項は原書にはあっても除こうかと考えたが、原書は劉安の行為を、非常な美挙として扱っているのである。そこに中古支那の道義観や民情もうかがわれるし、そういう彼我の相違を読み知ることも、三国志の持つ一つの意義でもあるので、あえて原書のままにしておいた。
 読者よ。
 これを日本の古典「鉢の木」と思いくらべてみたまえ。雪の日、佐野の渡しに行き暮れた最明寺時頼の寒飢をもてなすに、寵愛の梅の木を伐って、炉にくべる薪とした鎌倉武士の情操と、劉安の話とを。―話の筋はまことに似ているが、その心的内容には狼の肉の味と、梅の花の薫りくらいな相違が感じられるではないか

 校合したところ、このメッセージは初出の新聞連載の時点から盛り込まれていたものでした。となると目下その支那と戦争中の"読者"に向けて語りかけていた訳でして、またなんか吉川英治とその時代背景が臭ってきます。
 ともかく興味深いのは最後の一文です。ウィキベディアはこれを「両者のエピソードを同様と説明」としていますが、むしろ逆でしょう。
 自分はこれを日本人の気風を梅の香に、中国人の性根を狼の肉に喩えた批判だと読みました。
 吉川先生は『三国志』連載前に二度中国に渡っており、その渡航経験が『三国志』の豊かな描写に反映されているとの指摘はよくされています。特に今回の写真展*1ではその興味が大陸にいる"人"に強く向けられていたことが説明されており、確かに長くはない中国渡航ではありましたけど、実際に中国の風俗と気風に触れた吉川先生です。なのでこのエピソードを「狼の肉の味」と説明するようなイメージがないのですが、さて・・・。


 結局、吉川先生は「除こうかと考えた」どころか、この日の連載の全てを劉安に割いてしまいました。単行本読者ならともかく、リアルタイムでこれを読んだ新聞読者にはこのエピソードが鮮烈に刻まれたことでしょう。吉川三国志を通しても、大変重要なメッセージが盛り込まれた段落だと思います。*2
 果たして劉安を通して、一体どんな彼我の民情を伝えようとしたのでしょう?さらに詳しく勉強する必要があります。

*1:吉川英治記念館特別展示、「『三国志』の原点を見る――吉川英治が写した中国」展

*2:他ですと、序文、霊帝崩御のシーン、諸葛亮の紹介、篇外余録など注目したいところだと思います。