劉備の初恋 【芙蓉姫】
『吉川三国志』の数少ないオリジナルキャラクター、芙蓉姫。吉川流が光る序盤を象徴するようなヒロインです。
吉川オリジナルでありがなら、横光三国志や柴練三国志、三国志大戦など他の創作・媒体にも時々姿を見せるなど、三国志の和製オリキャラとしてはけっこう広く知られていると思います。
芙蓉姫の初登場は第1巻の50ページ*1。
姓を鴻、名を芙蓉。通称して芙蓉姫だとか白芙蓉だとか呼ばれています。
「芙蓉」とは、そういう名前の植物なのですが、一方でハスの別称で「芙蓉の顔」など美女を表す言葉でもあります。*2
芙蓉姫は地元の県令の娘で、黄巾賊によって県城が陥ちたために寺院に匿われていたものでした。そこへ劉備が現れたので、彼を非常の人と見た和尚は芙蓉姫の護衛を依頼します。劉備は承諾しますが、しかし和尚の身までは守れない。果たして和尚は芙蓉を委ね、自害してしまいます。和尚の結末はあたかも芙蓉の将来を予言しているかのようですね。
芙蓉を任せられた劉備は、ところが「芙蓉の体はいと軽かった」だの「柔軟で高貴な香り」「劉の頬は、彼女の黒髪にふれた」「かつて知らない動悸に、血が熱くなった」だの……まったくの一目惚れです。
とは言えそこは劉備、芙蓉を守って黄巾相手に奮戦。現れた鴻家の旧臣張飛にも助けられ、無事任務を終えるのでした。
さて数年の後、劉備は義兵を挙げるに至りますが、その頃でもまだ芙蓉姫のことが忘れられない様子。再会した張飛に彼女の行方を尋ねようとしたり、ことあるごとに気に掛け続けている描写があります。
両者が再会するのは1巻232ページ。劉備一行は張飛のコネで劉恢を頼りますが、彼女もまたその屋敷で保護されていたのです。
これを危ぶんだのは関羽でした。劉備の跡を追って、仲睦まじい二人のの姿を目撃してしまいます。この辺で見られる関羽の苦悩は、民間説話の「関羽斬貂蝉」を思い出させて興味深いです。やはり基本的には"女色"というものは疎まれる傾向にあるんですね。
一方で二人の事情を知る張飛はやや寛容なのですが、結局二人相談して、劉備に屋敷を去ることを勧めます。
しかしそこは劉備も英雄ですから、きっぱりと気持ちを決めます。再び別れることになる劉備と芙蓉ですが、二人を哀れむ張飛は、いつか大事を成した暁には二人の間を取り持つと約束するのでした。
ところがその後一向に芙蓉は再登場しません。そのうちに2巻306ページ、呂布に徐州を奪われる場面で『演義』通りに糜氏と甘氏が登場してしまいます。芙蓉という人がいながら、また吉川先生は自分の設定を忘れてしまったのか。
と思いきやそうではなく、3巻349ページにてようやく、その糜夫人が実はかつての芙蓉姫であることが明かされるのでした。
実に今を去る十何年か前。
まだ玄徳が、沓を売り蓆を織っていた逆境の時代……めぐり逢った白芙蓉という佳人が、いまの糜夫人であった。
という訳で吉川的には芙蓉姫=糜夫人です。時々甘夫人だと誤解されることがありますが、糜夫人です*3。
面白いのは吉川先生が芙蓉役を、甘氏ではなく糜氏にあてがったことです。そのために吉川は糜夫人を正妻に昇格させ*4、しかも子供まで産ませてその地位を上げています。*5
後に劉備の後継者を産む甘氏ではなく、あえて糜氏を芙蓉役に選んだ理由は、やはり長坂の悲劇のため以外にないでしょう。
しかし結局のところ、やはりそれらの設定はなかったことになってしまったのでした。
5巻44ページ、長坂にて糜氏の最期を聞いた劉備は、
「ああ、阿斗に代わって、糜は死んだか」
の一言。
その上で5巻125ページ。「商家の息子たる糜竺は……すすんで自分の妹を、玄徳の室に入れ」と、糜夫人は元通り糜竺の妹となり、芙蓉姫はすっかりなかったことにされてしまったのでした。
序盤から結構長いこと登場し、それらしい伏線も張られていたオリキャラだけに、自分としては吉川三国志の中でもっとも残念な部分ですね、、
桑原武夫先生は『三国演義』には恋愛がないことを指摘されており、ならば芙蓉姫の存在は、まさに三国志の現代小説化を図った『吉川三国志』ならではと言えるでしょう。しかし物語が進むにつれ『三国志演義』への依拠が高まりますと、それに伴って芙蓉姫も姿を消してしまうのでした。*6
*2:ちなみに彼女の命名について「芙蓉の花は成都の町のシンボルで、その名を持つ芙蓉姫が劉備の妻になるということは、彼が成都を手に入れる事の暗示なのでは」という話をこちらのサイトさんで見まして、大変興味深い指摘だと思います。となると彼女が阿斗のために命を絶ったということは、劉禅のために成都を失うという暗示・・・(笑)
http://blogs.yahoo.co.jp/liblife101/43824450.html
*3:柴錬三国志にて登場した際には、甘夫人に姿を変えています。三国志大戦でも甘夫人と芙蓉姫は同一視されています
*4:『通俗三国志』含め、『演義』では一貫して甘夫人が正妻とされています。これは正史が麋夫人を正妻とすることに反します)
*5:正妻と子供の件は同じく3巻349ページ