弓館芳夫『三国志』(昭和16年)
桑原武夫先生の論文「『三国志』のために」はその中で、当時(1942年)に受容されていた「三国志」創作として3つの作品が挙げています。吉川英治の『三国志』、村上知行の『三国志物語』、そしてこの弓館芳夫の『三国志』ですね
。『村上三国志』については以前に記事にしました。
『弓館三国志』の出版は昭和16年11月。村上知行と吉川英治が世に出てから2年ほど後になります。もちろん『吉川三国志』は依然連載中です。
そして前出の2作品と同様、その序文を読みますと「ここに鈍骨を呵して訳筆を執ったのは、自分の興味も固よりですが、日支両国が現在の如き関係にある際、之によって幾分なりとも、支那という国を知る助けになったならばと、思ったからに外なりません。」などとあり、やはり大陸の動向がその出版に大きく関わっていたことが分かります。昭和初期の「三国志」受容を考える上で参考となる一冊かと思います。
その内容については作者自身が「原著を鈍行とすれば、この訳書は自然急行列車と同じようになり……」と書いているように、『村上三国志』などと同様の『三国演義』の抄訳本と言えます。
ただ『村上三国志』や小川&武部の『少年三国志』が毛宗崗本を訳出した上で簡略化したものであるのに対し、この『弓館三国志』は正確に言えば訳本ではなく、まったく作者による文章で作られてます。その点では"語りなおし"と言われた『吉川三国志』と共通しています。吉川は自分流の解釈と修辞を加えて「三国志」を引き延ばし、対して弓館は自分流の文章で「三国志」を急行列車としてしまった訳です。簡略度にしても『村上三国志』が全3巻に対し、弓館は一冊にまとめてしまったのですから、もはや"あらすじ"に近いと言えるでしょう。
この様に本文がかなり簡略化されているので判断が難しいところもあるのですが、比較してみますに恐らくは『通俗三国志』がその種本に使われているようです。
「酒を煮て英雄を論ず」でも落雷の後に箸を落としていますし、諸葛亮の「銅雀台賦」も李本準拠でした。この他にも漢の寿亭侯や馬騰の謁見など、李卓吾系統の特徴を大体備えていますので、ベースが『通俗三国志』(ないしは『通俗』系統の三国志本)であることは間違いないでしょう*1。しかしその他にも『吉川三国志』や久保天随の『新訳演義三国志』を参考にした様子も見られますので、この点など後日また調べてみたいものです。
また興味深い点として、諸葛亮の死の箇所で終了させているさせていること、登場人物の批評に日本史上の人物を比較で用いていることがあります。特に後者は、三国志の人物を日本史の英雄になぞらえるということは、戦時下の読者の中国観に与えた影響もあったかもしれませんね。ひとつ祖茂の例を挙げてみます。
間もなく(祖茂)は追付いた華雄の刃に討死しましたが、この男などは正に我朝の村上義光、佐藤継信にも匹敵する忠臣と称すべきでせう。
こんな感じで、いろいろ調べてみたい本ではあるのですが、これもまた関東の図書館などには置いてないようで、先日の三国志学会のついでに京都府立図書館まで行って読んだんですよ。
どこかの古本屋さんにおいてないものですかねー。