三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

「諸葛亮にして死せざりせば」補足

 先日こちらで記事にした架空三国志物語「諸葛亮にして死せざりせば」について。


 作者は清朝雍正帝から乾隆帝夏綸という人。この人に「南陽楽」という戯曲があるのですが、その粗筋を久保天随が『新訳演義三国志』の付録として載せています。これが「諸葛亮にして死せざりせば」です。


 久保天随が解説するところによれば、夏綸は「戯曲を以て風教に貢献せむと力めた」人で、彼の新曲六種のうち五種はそれぞれ忠孝節悌義をテーマとしたものだとのこと。そして最後の一種が、この南陽楽という訳です。
 以前、『新訳演義三国志』の序文を紹介しましたが、久保天随は、――これが当時のセールストークなのかもしれませんけど、かなりの蜀漢贔屓です。ここでも諸葛亮を「千古忠良の純臣」「その一生一死が三国の行く末を決する」とし、その死を「史上に見るところの最大恨事」であると断言します。故に、その最大恨事をせめて創作で晴らさんと言うことで、今回この妙作を付録と紹介した、という訳だそうです。
 どこまで本気なのかは分かりませんけど、この頃はまだ蜀漢を正統視することが一般的な三国志観だったんだなって思いました。


 さて本作は、ご覧の通り『三国志演義』をベースとした架空物語です。人物設定などはすべて『三国志演義』に拠ってますので、『三国志演義』の二次創作って感じですね。あんま、日本では見られないタイプかと思います。
 日本の三国志小説ですと、まずどんな人物像を設定するかってとこから始まり、それぞれ作者がどのような解釈の元でキャラクターを描くかがひとつの見どころになってるかと思います。数ある「三国志」資料を総合してですね、それで蒼天曹操だとか、秘本劉備だとか。
 それに対して本作は、あるいは『反三国志』などはあくまで『演義』に忠実な人物像を描きますから、読者との間に初めから固定されたキャラクターイメージを共有することができます。なので人物の動かし方が非常に似通ってくる。曹丕・華歆・劉褜の扱いはその典型ですね。これ魅力。


 ちなみに本作がベースとした『三国志演義』ですけど、その中でも、毛宗崗本かそれに類する版本を基にしているかと思います。孫夫人の自害に触れていること、魏延馬岱が仲良く共闘していること*1関羽爵位が漢寿亭侯であること、などですね。
 毛宗崗本の成立は確か1666年くらいの康熙帝の頃。夏綸よりも70〜80年くらい前ですか。つまり夏綸の頃には、既に毛宗崗本を下敷きに創作をしようというくらいには一般にも広く流通していたということで、けっこう浸透が早いんだなーって思いました。

*1:李卓吾本以前では、孔明生前に馬岱魏延を焼殺しかけるという失態(?)をしてその配下に格下げされていますから、この様に共に軍を率いることはできません