『反三国志』華歆と『三国志演義』李儒の最期
「仁者の風上におけん、まったくけしからん話だな」
「董卓の無道を助けしは、李儒なるぞ。誰か生け捕りにしてこぬか」
李粛が言下に進み出たとき、門外にたちまち喚声がわき、李儒の家僕が李儒を縛って献上して来たと知らせがあった。王允は市中に引き出して斬首するように命じた。
以上は『三国志演義』毛宗崗本における李儒の最期です。
董卓の悪逆もこの人さえいなければ、ってほどの悪人でありますけれど、董卓が人間燈籠にされたり、3度も雷に撃たれたことに比べれば、ややあっさりとした最期ではあります。
しかしこれが李卓吾本や嘉靖本では違っていました。
「李儒綁在街市。令百姓過之、争啖其肉」
つまり生け捕りにされて市中に晒された上で、恨みを抱く民衆によって生きながらにその肉を喰われたってことです。*1
李本に基づく『通俗三国志』でも、
「李儒は大地に縛られけるが四方の軍民日ごろの恨をすすがんとて、争そうて其肉を一口づつ啖て、遂に喰い殺せり」
と、よりはっきりと翻訳されていました。*2
確かに、虐政を極めた李儒らにはふさわしい最期かもしれませんけど、あまりに残酷すぎです(;´・ω・`)
毛宗崗が簡略に改めたのも無理ないです。
ところで、同じく三国志の中でこれと同様の最期として思い出すのは、タイトルにあります通り『反三国志』における華歆でしょう。
「馬超はそこで華歆の左腕の肉を削ぎおとし、炉で焙ってから塩をつけ、その場で食い始めた。馬岱も同様に、華歆の肉を削いでは食い、……華歆は、ついに全身を切り刻まれた。」
もちろん作品は違いますが、基本的な人物像は共有する両者です。
ある意味では、華歆は李儒に匹敵するほどの大姦臣として見られていたと考えることもできるかもしれませんね。
そういえば李儒と華歆もそれぞれの謀臣として、皇帝廃立・皇后殺害・帝位簒奪などの悪事を共有してますし。