2011-11-18 劉芳 五胡六朝 与太噺 皇后の劉氏は病が篤くなると、泣きながら「妾の叔父劉昶は子がなく、妾を幼い頃から養ってくれました。今その恩に報いたく思います。また妾の叔父劉皚の娘の劉芳は徳色が備わっておりますので、願くば彼女を後宮に入れていただけますよう」と訴えた。言い終わると劉氏は薨去してしまった。献烈皇后と諡した。 帝は劉氏の言に従って、劉昶を使持節・侍中・大司徒・錄尚書事とし河南郡公に封じた。 そして劉芳を立てて皇后とし、劉昶を太保とした。 ―『晋書』劉曜載記*1 ―『晋書』劉曜載記 ( ゚д゚ ) _(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ \/ / *1:曜妻劉氏疾甚,曜親省臨之,問其所欲言。劉泣曰:「妾叔父昶無子,妾少養於叔,恩撫甚隆,無以報紱,願陛下貴之。妾叔皚女芳有紱色,願備後宮。」曜許之。言終而死,偽諡獻烈皇后。以劉昶為使持節、侍中、大司徒、錄尚書事,進封河南郡公,封昶妻張氏為慈鄉君,立劉皚女芳為皇后,追念劉氏之言也。俄署驃騎劉述為大司徒,劉昶為太保