三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

劉娥

 

 劉聡の建元元年正月、流星が平陽の北十里に落ちた。
 それを見れば""で、その臭いは平陽まで届き、哭き声は昼夜止むことがなかった。
 数日後、皇后の劉娥が蛇と虎を産んだ。二匹は暴れまわって逃げ出したが、その後"肉"の傍らで見つかった。
 この時、劉聡は劉氏を名乗りながら、劉殷の娘三人を皇后としていた*1。"骨肉之綱"に逆らい、"人倫之則"を乱していた。
 ほどなくして劉娥は死に、すると"肉"の哭き声も絶えた。
 劉聡後宮に乱寵するようになり、政務を見ることはなくなった。
                 ―『晋書』五行志、視不明*2、赤眚赤祥*3




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*1:別のところでは劉殷の娘を二人(劉娥と劉英)、孫娘を四人、妻妾としたとあります。ここで言う三人の娘とは、孫娘の誰かを加えた三人なのか、ないしは劉娥と劉英とはまた別に娘を妻としていたのか。

*2:「視不明」とは、「視の不明、これ不哲を謂う。哲は知なり。」だそうです。つまりバカだって。

*3:劉聰偽建元元年正月,……流星起于牽牛,入紫微,龍形委蛇,其光照地,落于平陽北十里。視之則肉,臭聞于平陽,長三十步,廣二十七步。肉旁常有哭聲,晝夜不止。數日,聰后劉氏 產一蛇一獸,各害人而走。尋之不得,頃之見於隕肉之旁。是時,劉聰納劉殷三女,並為其后。天戒若曰,聰既自稱劉姓,三后又俱 劉氏 ,逆骨肉之綱,亂人倫之則。隕肉諸妖,其眚亦大。俄而 劉氏 死,哭聲自絕。
劉聡戴記、『魏書』匈奴劉聡伝にも似た記事があり、ここでは適当に混ぜて意訳しました。