三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

黄巾に負けた王様のその後



 「三国与太噺」−黄巾に負けた王様たち


 この記事で紹介した安平王劉続は、黄巾の乱で捕虜となり、一度は国に戻れたのですが、その後誅殺されてしまいます。
 その顛末を紹介しているのが以下の『後漢書』李固伝です。

(李燮は)霊帝の時に安平相を拝す。是に先じ安平王續張角が賊の略さるる所と為りて、国家王を贖いて還すを得、朝廷議して其の国を復す。燮上奏して曰く「續國に在りて政無く、妖賊の虜となる所と為り、守藩すること不稱なり、聖朝を損辱す。宜しく國を複さざるべし。」時議者同せず、而して續竟に藩に帰す。燮宗室を謗毀するを以て、左校に輸作せらるる。歲満たずして、王果して不道に坐して誅せらる、乃ち拜して燮議郎と為る。京師語りて曰く「父帝の立つを肯せず、子王の立つを肯せず。」

 この李燮ってのはあの李固の子です。
 李燮は安平相に任じられると、先だって安平王劉続が黄巾賊の捕虜になった事を厳しく責め、王を廃すように上奏します。この時は賛同が得られず、李燮は皇族を誹謗した咎で刑吏に引き渡されてしまいます。
 ところが結局、その年のうちに劉続は誅殺されて、李燮は赦されて議郎に復職。人々はこれを讃えて、「父の李固は桓帝が即位することに抵抗し、子の李燮は安平王が立つことに抵抗した」と言ったといいます。


 やはり、皇族が賊の捕虜になるということがとても大変な大失態として問題になっていた事が窺えます。皇帝が人質の王を購った、ってすごくないですか??