『続漢書』百官志、王国
皇子を王に封じ、其の郡を國と為し、毎に傅一人、相一人を置き、皆二千石なり。本注曰く、傅は善を以て王を導すを主り、禮すること師の如く、臣にあらざるなり。相は太守の如し。長史有り、郡丞の如し。
漢初諸王立ち、項羽の諸王を立つる所の制に因りて、地既に広大にして、且つ千里に至る。又た其の官職は傅を太傅と為し、相を丞相と為し、又た御史大夫及び諸卿有り、皆秩二千石なり、石官皆朝廷の如し。國家は唯だ丞相を置き、其の御史大夫以下は皆自ら之を置く。景帝の時に至り、呉楚七國其の國大なるを恃んで、遂に以て亂を作り、漢室を幾危す。其の誅滅するに及び、景帝之に懲り、遂に令し諸王をして治民させしめず,内史に治民を主らしめ、丞相を改めて曰く相、御史大夫・廷尉・少府・宗正・博士官を省く。武帝漢の内史・中尉・郎中令の名を改め、而れども王國は故の如し、員職は皆朝廷が署すを為し,自ら置き得ず。漢成帝に至り内史の治民するを省き、更めて相に治民せしむ。太傅を但だ曰く傅。
中尉一人、比二千石なり。本注曰く、職は郡都尉の如く、盜賊を主る。
郎中令一人、僕一人、皆千石なり。本注曰く、郎中令は王大夫・郎中宿衛を掌り、官は光祿勳の如し。少府を省いてより、職皆并す。僕は車及び馭を主り、太僕の如し。本注曰く、太僕は比二千石たり、武帝改め、但だ曰く僕、又た皆其の秩を減す。
治書、比六百石なり。本注曰く、治書は本の尚書にて名を更む。
大夫、比六百石なり。本注曰く、員無し。王使を奉じて京都に至り、正月を賀す璧を奉り、及び諸國に使いするを掌る。本は皆節を持ち、後節を去る。
謁者、比四百石なり。本注曰く、長冠を冠するを掌る。本は員十六人、後減る。
禮樂長。本注曰く、樂人を主る。
衛士長。本注曰く、衛士を主る。
医工長。本注曰く、医藥を主る。
永巷長。本注曰く、宦者なり、宮中の婢使を主る。
祠祀長。本注曰く、祠祀を主る。皆比四百石なり。
郎中、二百石。本注曰く、員無し。
王様と仲間たち。
漢初の頃の王国は、朝廷のミニチュア版と言った感じで、百官も朝廷同様に置かれていましたが、呉楚七国の乱をひとつのきっかけとして、王国の権限は大きく制限されてしまいました。百官の任命権や治民を王の手から奪ってしまったんですね。丞相を相に、といった名称の変更も朝廷との差別化のひとつでした。
後漢末になると、魏国や漢中国といったヘンな王国がばかばかできた訳ですけど、これらはいずれも「制度は漢初の如し」を掲げていました。ここで言う「漢初」というのが、呉楚七国の乱以前の非常に自立的だった頃の王国を指してるんですね。