☆第四回 旧憤を泄らして張繍が孫権に身を投じ
先声を挫いて甘寧が楽進を射る
※文庫版110ページ〜122ページ
○あらすじ
曹操は荀攸の進言に従い、荊州へは曹洪を派遣し、本命の江南攻めには自ら大軍を率いて出陣する。
さてこれより前、曹操に降った張繍は当代名だたる大将であったが、ある宴会の席で曹丕にその罪を詰られる。張繍は、降将である自らの将来を不安に思い、呉への投降を決意する。張繍の投降を許してしまった為に、曹操側の奇襲が孫呉に漏れてしまうのであった。
しかしそれを未だ知らない南征軍は、早くも合肥に至り、駐屯する張遼軍と合流して、濡須を急襲する。この時はまだ濡須軍は曹操の南征を知らされていなかった。それでも迫り来る先鋒の楽進・李典を相手に、太史慈は険阻に拠ってよく守ったものの、そこへ張遼本隊が加わって窮余に立たされる。
と、その時横合いより甘寧軍が奇襲を仕掛ける。張繍からの情報で、いち早く前線に駆け付けた援軍だった。楽進は思わぬ襲撃に甘寧の矢を受け、たまらず怯んだ所を太史慈に討たれてしまう。魏軍は大敗し、一時撤退を余儀なくされてしまうのであった。
○主な登場人物
緒戦にて太史慈に討たれる。本作における、メイン人物で最初の戦死者。
本作では名将として評価される。降將である自身がいずれ漢の韓信、魏の孟達のような最期を迎えてしまうことを恐れ、呉に降る。張繍が洩らした機密が魏呉決戦の勝敗を左右する事になる。
本作では理屈ばかりの未熟な二代目として、兄弟の中でも評価が最も低い。
張繍を辱め、その投降のきっかけを作ってしまう。曹丕が張繍を責める挿話は『三国志』張繍伝注引『魏略』を出典とする。『演義』では特に見られない。
荊州征伐軍の大将。本作において曹洪は一門衆筆頭として、重要な任務に就くことが多い。
・杜襲
何故が呉側の伝令役として登場する。『三国志』『演義』では孫呉に与するような場面はない。
・応劭『風俗通義』(p110)
出典は応劭『風俗通義』佚文にある「両袒」の故事。
「齊人有女、二人求之、東家子醜而富、西家子好而貧、父母疑不能決、問其女『定所欲適、難指斥言者、偏袒令我知之。』女便両袒、怪問其故、云『欲東家食、西家宿。』此為両袒者也。」
『太平御覧』、『芸文類聚』などに佚文あり。
・『礼記』曲礼篇(p111)
出典は『礼記』曲礼篇、いわゆる「不倶戴天」の故事が出典とする段落と同じ。
「父の仇は共に天を戴ず、兄弟の仇は兵に反らず、交遊の仇は国を同じとせず」
・呉郡の甘寧(p122)
『三国志』甘寧伝によれば巴郡臨江の人。注引『呉書』ではもと南陽郡。呉郡とは誤りか。
・楽進を射る(p122)
『演義』第六十八回においては、甘寧は凌統を助けて楽進を射る。楽進はそれ以降登場しない。それを踏まえた創作であろう。
○感想
いよいよ魏vs呉。ストーリーの流れとしては、『演義』の赤壁の戦いに相当すると思います。陸戦ですけど。
曹操が定めた策略を、曹丕が台無しにしてしまう。張繍が先に情報を洩らしたことで甘寧が迅速に駆けつけることができ、ひいては太史慈を助けて楽進を討つこととなります。本作での曹丕評は、曹彰・曹植・曹熊と比べても劣るほどです。『演義』系創作では仕方のない所でしょうが…。