三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

舞陽侯と晋王

(攸 ´・ω・`)     (´・ω・` 宣)(´・ω・` 景)






 以前の記事で、爵位の上では司馬氏の嫡流司馬師・司馬攸にあったのではと書きました。
 つまり260年頃までの司馬一族の爵位は以下のようになっていました。

それが司馬昭が晋王に即位すると、以下の様な追贈が行われた訳です。

 もちろん司馬昭の晋王追贈に別段不審なところがあるとかじゃないんですけど、こうやって爵位の動きを見ると、司馬攸の方にあった嫡流司馬昭の方へと変化しているように見えて・・・。
 またこの後に司馬懿らは天子七廟に配されているので、司馬攸が担っていた祖先祭祀は司馬炎へと移ったのだろうと思います。
 
 この様な、傍系が嫡流より高い地位についてしまった場合って普通はどうしていたのでしょうねー。*1

*1:これと似たケースだった孫権は、孫策に帝位を追贈しなかったじゃないですか。あれを陳寿が批難したのは、おそらくこの司馬昭の例が念頭にあったからだろうと思います。