どうでもいい方の司馬八達
司馬朗、司馬懿、司馬孚ではない、マイナーな八達について『晋書』宗室伝からちょこっと。
基本的に、みんな魏代で亡くなってしまってますね。
○司馬馗(季達)・四男
魏で魯相・東武城侯。
○司馬恂(顕達)・五男
魏で鴻臚丞。
○司馬進(恵達)・六男
魏で中郎。
○司馬通(雅達)・七男
魏で司隸從事。安城亭侯。
彼らの官位を見てください。
魯相、鴻臚丞、中郎、司隸從事と、あんまパッとしませんね(笑)
四男司馬馗の魯相がまあそこそこでしょうか。
一方で爵位。
四男司馬馗と七男司馬通が列侯になってます。これは彼らの官位に比べるとびっくりするくらい高い爵位です。
これと言いますのも、司馬懿の生前に、彼の威光による親戚一同に爵位バラまき事件が何度かありまして、これらはそれによる爵位であろうと思われます。
その最初のバラまきが景初三年――曹芳が即位した時ですけど、この時に「司馬懿の子弟三人」が列侯に封建されました。司馬馗と司馬通はこの時に列侯となったのでしょう。逆に言えば列侯になってない司馬恂、司馬進はこの頃既に亡くなっていたのだろうと思います。
この様な爵位バラまきは司馬懿の時代で四回、また司馬昭の頃にも何度かありました。なので司馬一族は老いも若きもみんな列侯になっちゃってます。
ただ、司馬馗を見ての通り、爵位は県侯という最上位でありながら、官位の方はたかが二千石の太守に過ぎません。
恩徳でもって爵位をバラまくことはできても、官位はそうはいかなかったのです。