三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

どうでもいい方の司馬八達

 司馬朗、司馬懿、司馬孚ではない、マイナーな八達について『晋書』宗室伝からちょこっと。
 基本的に、みんな魏代で亡くなってしまってますね。

○司馬馗(季達)・四男
 魏で魯相・東武城侯。
○司馬恂(顕達)・五男
 魏で鴻臚丞。
○司馬進(恵達)・六男
 魏で中郎。
○司馬通(雅達)・七男
 魏で司隸從事。安城亭侯。


 彼らの官位を見てください。
 魯相、鴻臚丞、中郎、司隸從事と、あんまパッとしませんね(笑)
 四男司馬馗の魯相がまあそこそこでしょうか。
 一方で爵位
 四男司馬馗と七男司馬通が列侯になってます。これは彼らの官位に比べるとびっくりするくらい高い爵位です。
 これと言いますのも、司馬懿の生前に、彼の威光による親戚一同に爵位バラまき事件が何度かありまして、これらはそれによる爵位であろうと思われます。
 その最初のバラまきが景初三年――曹芳が即位した時ですけど、この時に「司馬懿の子弟三人」が列侯に封建されました。司馬馗と司馬通はこの時に列侯となったのでしょう。逆に言えば列侯になってない司馬恂、司馬進はこの頃既に亡くなっていたのだろうと思います。
 
 この様な爵位バラまきは司馬懿の時代で四回、また司馬昭の頃にも何度かありました。なので司馬一族は老いも若きもみんな列侯になっちゃってます。
 ただ、司馬馗を見ての通り、爵位は県侯という最上位でありながら、官位の方はたかが二千石の太守に過ぎません。
 恩徳でもって爵位をバラまくことはできても、官位はそうはいかなかったのです。