諸葛質?諸葛懐?
ウィキペディアで諸葛孔明を調べますと、諸葛質、諸葛懐、諸葛果、諸葛望なる人たちのことが書かれています。
張澍『諸葛忠武侯文集』によれば、諸葛質という息子がおり(故事巻一「雑記」)、また諸葛懐という息子・諸葛果という娘がいたとされる(故事巻一「朝真観記」)。諸葛果は成都近くの道観で修行して、ついに仙人となって昇天したという。 wikipedhia -「諸葛亮」
曰く、諸葛質は諸葛瞻の息子、諸葛懐は諸葛亮の三男、諸葛果は諸葛亮の娘、諸葛望は諸葛均の息子だそうで、諸葛質、諸葛懐については単独のページも立てられてます。そしてその出典はすべて張澍の『諸葛忠武侯文集』なる書籍だそうですが・・・。
なにしろ諸葛亮の子孫に関することですし、いかにも胡散臭い……曹操の兄みたいに、またネットのデタラメじゃないですか( ゚д゚ )?
ウィキで最初に諸葛質らが出てきたのは、2006年7月の諸葛亮の項目のようです。*1
でも1年2年くらいは削除と復活を繰り返していますね。というのも、この時点ではその出典が裴注の『襄陽記』となっていたのですが、あの人も指摘されていたように、『襄陽記』には諸葛質らの記述がなかったからです。その時ではまだ出典不明の噂だったわけですね。
それが2007年11月11日。ひとりの編集者さんが新しい出典に『諸葛忠武侯文集』が挙げ、再び諸葛亮の項目に子孫の記事を復活させると共に、諸葛質、諸葛懐の単独ページも立てたのです。その両者の経歴たるや、まあいろいろ怪しいところたくさんなんですけど、新しい出典を挙げた為か、それらの記事は残され今に至るという訳です。
とウィキの編集履歴を見てみたんですけど、やっぱり怪しいっすなぁ、、、( ゚д゚)
何が怪しいって、今の記事が全部ひとりの編集者さんによって作られたことですね。
それに出典が『襄陽記』から『諸葛忠武侯文集』に変わってんのもめちゃ怪しいです。
ってかこの2007年の更新の時でもこの人、一度は『襄陽記』を出典にしながら、数時間後には『諸葛忠武侯文集』に改めてるんですよ。『襄陽記』で間違いを指摘されたから、今度は確認しづらそうな本に変えたんじゃないかなー・・・って。
やっぱ怪しいですなぁ( ゚д゚ )
これはちょっと、調べてみたいと思います。
*1:ネットではこれ以前から噂になっていた様子がむじんさんのところにあります。
http://www.project-imagine.org/mujins/unconfirmed.html