范曄『後漢書』における、三君八俊八顧八及八廚の一覧
いわゆる三君八俊という、後漢末に宦官たち濁流勢力と争った清流派「党人」の番付は、実は史料によっていろいろ違っています。
それが范曄『後漢書』ではどうなっているかというと、范曄は彼らのために「党錮伝」を立て、三君以下の顔ぶれを以下のように定めています。
なので「三君八俊」ってだれ?って言ったら大体こいつらのことだと思います。
○「三君」
・・・竇武 劉淑 陳蕃
○「八俊」
・・・李膺 荀昱 杜密 王暢 劉祐 魏朗 趙典 朱宇
○「八顧」
・・・郭泰 宗慈 巴肅 夏馥 范滂 尹勳 蔡衍 羊陟
○「八及」
・・・張儉 岑晊 劉表 陳翔 孔昱 苑康 檀敷 翟超
○「八廚」
・・・度尚 張邈 王考 劉儒 胡母班 秦周 蕃嚮 王章
ちょっと色分けもしてみました。
これは彼らの事績が、『後漢書』の中でどこに記録されているかで分けました。
赤字は、「党錮伝」に列伝が収められている者。
青字は、「党錮伝」以外で列伝・附伝がある者。
緑字は、詳細な事績は不明だが「党錮伝」に出自・官職が記録される者です。
一部の青字が特別に立伝されている以外は*1、メンバーのほとんどが党錮伝に収められていることがわかります。
しかしひとりだけ黒字がいます。
八俊の趙典です。
范曄は彼を「ただ趙典の名 見ゆるのみ」と言っています。つまり趙典だけが何故か、字も出身地も官職も不明であり、しかもここ以外には『後漢書』に記録がない、のだそうです。