蜀漢の正統のゆくえ
こないだちょっと魏蜀正閏論の話になったときに、蜀漢が正統として弱いのは、やっぱりこれを継承する王朝がなかったからだろうという感じの話をしました。
曹魏でしたら、司馬晋がここから禅譲を受けたことによってその正統性が保障されました。晋以降も劉宋・南齊・梁とその系統は継承されてゆき、隋唐や北宋もまた曹魏の禅譲形式を承けたためその正統性を概ね認めました。
でも蜀漢にはそういう存在がないですね。趙漢は単なる身内みたいなものですし。蜀漢を正統王朝として滅ぼしてくれるような、そうゆう異姓王朝がいたら魏蜀正閏論のイメージもまたちょっと違っていたのかも知れないです。
先主諱備、其訓具也。後主諱禪、其訓授也。如言劉已具矣、當授與人也。
蜀漢の末、杜瓊を承けた譙周が述べたという予言。
ちくま訳を参照すれば、「先主の諱は備であり、その字義は具(完結する)である。後主の諱は禅であり、その字義は授(さずける)である。劉氏はすでに完結した、当に人に授けるべしというのと等しいことになる。」という意味になります。
在地の益州人からこうも不遜な予言が出てしまうところに蜀漢朝の凋落が窺えますけど、しかしこれも「劉備で劉氏は完結した」と言うように、蜀漢が漢を継承している前提に立っているかのようです。それに予言が述べるように、本当に劉禅が「禅」ることができたのなら、蜀漢も正統王朝として完結できたはずです。殷が周に、周が漢にそうしたように。誰かに授けることができたらよかったんですね。そうすれば正統性を保持したまま滅亡できたんです。
しかし司馬晋は、放伐でもなくましてや禅譲でもなく単なる征討として蜀漢を処分しました。司馬昭が正統を受け取るべき相手は曹魏こそが相応しいからです。
劉備劉禅が二代かけて完結させた漢の正統は、ついに誰にも受け取られることのないまま滅びてしまったのです。