三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

『三国志演義』龐徳の兄嫁殺し

 もうひとつ、龐徳の人柄を考える上ではこの件も興味深いです。

 作中、龐徳は出陣前に、彼の兄である龐柔が蜀漢にいることを理由に、内応の可能性を疑われます。でも龐徳は、かつて自分は兄の嫁を殺しており、そのために以来関係は断絶していると弁明するんです。
 このツイートはその件について驚かれているんですけど、僕もこれは見逃していたんでびっくりしました。
 穀潰さんはこっちのまとめの方でも「武将では女性殺害理由としては最悪の部類に入ると思います」とも書いていますけど、じゃあ実際にその弁明を『三国志演義』の本文で、「李卓吾本」の方で見てみましょう。

 某 漢中において主上(曹操)に投降してより、つねに厚恩を感じ、恨むには肝脳 地に塗れえて、報いる能はず。何ぞ紱に疑わんなり。紱 昔 故郷に在る時、兄と同居するも、嫂 甚だ不賢たりて、徳に嫉妬す。紱 酔に乗じて刀を提げ之を殺す。兄の龐柔 恨むこと骨髓に入る。誓って相見えず。恩 已に断つ。
 ―「李卓吾本」第七十四回「龐徳臺櫬戰關公」


 こんな感じです。どうでしょうか?
 やっぱり兄嫁殺しがしっかり書かれていますけど、でも僕は、むしろこれは『水滸伝』における武松・潘金蓮挿話と同じものに見えます。
 ここで注目すべきは、この文章全体に「傍点」が振られていること、そして「嫂 甚だ不賢たりて、徳に嫉妬す」という兄嫁の素行にあります。
 「李卓吾本」本文において頻繁に見られる「傍点」は、編者が「好ましい」と感じる箇所に附されるものでして、これにて一目でこの箇所が龐徳を批判するものでないことがわかっちゃうんです。単純にして明快ですね。
 そして「不賢にして嫉妬する」という兄嫁。特に「嫉妬」とは『三国志演義』の倫理観で最も忌み嫌われるところであります。これは殺されても残念ながら当然、と言っているように僕は読みます。
 女性の方には申し訳ないんですけど、「三国志」や『水滸伝』には、不賢で不貞な女を豪傑が成敗する話はいっぱいあるんですね。特に兄嫁成敗の構図をとるものが多いような気がしまして、関羽貂蝉趙雲と樊氏、武松と潘金蓮、石秀と潘巧雲などがそうです。
 なのでこれも同様に、兄嫁であろうと不賢であれば成敗するという、龐徳の"勇"を讃えるエピソードであろうと僕は思います。


 ちなみにこの箇所を毛宗崗がどう読んでいるかと言えば、「李卓吾本」にはあった兄嫁の「徳に嫉妬す」が「毛宗崗本」では削られていることからも分かります。兄嫁最大の罪悪を削ることで、相対的に龐徳の罪を高めている訳です。その上で、「嫂を殺して兄を絶つ、これ"親"無し。主に背いて操に従う、これ"君"無し。」との評を入れ、やはり龐徳を強く批難しています。その理由については、前回に書いたとおりです。





 さらにちなみに、『吉川三国志』は龐徳の台詞から兄嫁殺しをカットしています。
 冒頭のツイッターの方が疑問に感じたように、一般の読者には読解が難しいからでしょう。ほかでも吉川英治は、中国白話小説特有の読解が必要な個所をよく削っています。つくづく日本的な「三国志」だと思います。