三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

改姓の事例

「尚書省 三國志部」‐『三国志』中の改名した人物

 こちらの教団さんの記事に触発されまして、僕は「改姓した人」に絞って調べてみたいなと思いました。
 教団さんの記事を見ながら、いま思いついた限りを挙げてみただけでありますので、足りない事例を教えていただければ幸いです。


☆劉矯⇒陳矯

 元は劉姓だったが、母方の陳氏の養子になった。
 本族であった劉氏から妻を娶ったため、徐宣に批難された。*1

☆施然⇒朱然⇒朱績⇒施績

 元は施姓であったが、母の弟である朱治に後継がなかったため、その養子になった。
 しかし朱治に朱才が生まれると、朱才が父爵を継いだ。朱然は、朱治の喪が明けると元の姓に戻ることを望んだが、孫権が許さなかった。子の朱績の代になって、施姓に戻ることができた。*2

☆寇封⇒劉封

 元は寇姓。母は長沙の劉氏。
 当時継嗣のなかった劉備の養子になり、劉姓に改めた。*3

☆(孫河⇒)兪河⇒孫河

 元は呉郡兪氏の出身。孫策に寵愛されたために孫姓を賜った。
 一方で裴注には、元々は孫堅の従子で、一度は母方の兪氏の養子になったが、後に孫姓に戻したともある。*4

☆何平⇒王平

 母方の何氏に養育されたが、のちに王姓に戻す。*5

☆狐篤⇒馬忠

 母方の狐氏に養育されたが、のちに馬姓に戻す。名もその際に改めた。*6

☆朱苗⇒何苗

 父は朱某、母は舞陽君。
 後に舞陽君は何真(何進父)と再婚し、何皇后を生んだ。よって何皇后は何苗の異父妹になり、かつ何進は父母を異とする義兄となる。
 何らかの理由で、母の再婚相手の姓に改めたと考えられる。*7

☆夏侯嵩⇒曹嵩

 宦官曹騰の養子だが、出生不明。
 一方で、もと夏侯氏で、夏侯惇の叔父にあたるとも。*8

☆秦真⇒曹真

 曹操の族子。
 元は秦姓で、亡父の功績によって曹姓を賜ったとも。*9

☆慶純⇒賀純

 呉の賀斉の叔父。
 元は慶姓だが、時の安帝の父親、清河王劉慶の諱を避けて賀姓に改めた。*10

☆耿雍⇒簡雍

 元々は耿姓だが、幽州の人が「耿」を「簡」と発音したので、その音に従って改めた。*11

☆氏儀⇒是儀

 元は氏姓。郡吏であった際、北海太守であった孔融は、「氏」字が「民」字の上部分を除いたものであると嘲笑った。そして「是」姓に改めるよう言ったので、改姓した。
 しかし裴注が引く徐眾は、安易に改姓をした孔融と是儀を批難している。*12

☆褚燕⇒張燕

 元は褚姓。河北の賊帥である張牛角に従っていたが、張牛角が討死するとその軍団を引き継ぎ、また姓を張に改めた。 *13

☆単福⇒徐庶

 元は単家の子であったが、徐姓に改めた( ゚д゚ )
 一説には、本姓が徐であり、単姓は世をしのぶ仮の名であるとも。*14


☆呂政⇒

 ( ゚д゚ )

☆霍弗陵⇒

 ( ゚д゚ )

☆袁叡⇒

 ( ゚д゚ )

☆牛睿⇒

 ( ゚д゚ )

*1:三国志』陳矯伝、裴松之注引『魏氏春秋』
   矯本劉氏子、出嗣舅氏而婚于本族。徐宣每非之。

*2:三国志朱然
   朱然字義封、治姉子也。本姓施氏。初治未有子、然年十三、乃啟策乞以為嗣。……然為治行喪竟、乞復本姓、權不許。績以五鳳中表還為施氏。

*3:三国志劉封
   劉封者、本羅侯寇氏之子、長沙劉氏之甥也。先主至荊州、以未有繼嗣、養封為子

*4:三国志』孫韶伝
   孫韶字公禮。伯父河、字伯海、本姓俞氏、亦吳人也。孫策愛之、賜姓為孫、列之屬籍。
   吳書曰、河、堅族子也。出後姑俞氏、後復姓為孫。

*5:三国志王平伝 
   王平字子均、巴西宕渠人也。本養外家何氏、後復姓王。

*6:三国志馬忠
   馬忠字紱信、巴西閬中人也。少養外家、姓狐、名篤。後乃復姓。改名忠。

*7:三国志董卓伝、裴松之注引『英雄記』
   苗、太后之同母兄、先嫁朱氏之子。
  『続漢書』五行志一
   皇后同父兄何進為大將軍、同母弟苗為車騎將軍。   
  『続漢書』五行志二 草妖 
   皇后兄何進、異父兄朱苗、皆為將軍、領兵。

*8:三国志武帝
   養子嵩嗣、官至太尉。莫能審其生出本末。
   吳人作曹瞞傳、及郭頒世語並云、嵩、夏侯氏之子、夏侯惇之叔父。

*9:三国志』曹真伝
   曹真字子丹、太祖族子也。……。
   魏略曰、真本姓秦、養曹氏。
   或云、其父伯南夙與太祖善。(秦伯南)遂害之。由此太祖思其功、故變其姓。

*10:三国志』賀斉伝
   賀齊字公苗、會稽山陰人也。
   虞預晉書曰、賀氏本姓慶氏。齊伯父純、儒學有重名、漢安帝時……公車徵。避安帝父孝紱皇帝、改為賀氏。

*11:三国志』簡雍伝
   簡雍字憲和、涿郡人也。……。
   或曰、雍本姓耿、幽州人語謂耿為簡、遂隨音變之。

*12:三国志』是儀伝
   是儀字子羽、北海營陵人也。本姓氏、初為縣吏、後仕郡、郡相孔融嘲儀、言氏字民無上、可改為是、乃遂改焉。
   徐眾評曰、古之建姓、或以所生、或以官號、或以祖名、皆有義體、以明氏族。……教人易姓、從人改族、融既失之、儀又不得也。

*13:三国志張燕
   張燕、常山真定人也。本姓褚。……燕推牛角為帥、俱攻廮陶。牛角為飛矢所中。……牛角死、眾奉燕、故改姓張。

*14:三国志諸葛亮伝、裴松之注引『魏略』
   庶先名福、本單家子。