改姓の事例
こちらの教団さんの記事に触発されまして、僕は「改姓した人」に絞って調べてみたいなと思いました。
教団さんの記事を見ながら、いま思いついた限りを挙げてみただけでありますので、足りない事例を教えていただければ幸いです。
☆劉矯⇒陳矯
元は劉姓だったが、母方の陳氏の養子になった。
本族であった劉氏から妻を娶ったため、徐宣に批難された。*1
☆施然⇒朱然⇒朱績⇒施績
元は施姓であったが、母の弟である朱治に後継がなかったため、その養子になった。
しかし朱治に朱才が生まれると、朱才が父爵を継いだ。朱然は、朱治の喪が明けると元の姓に戻ることを望んだが、孫権が許さなかった。子の朱績の代になって、施姓に戻ることができた。*2
☆朱苗⇒何苗
父は朱某、母は舞陽君。
後に舞陽君は何真(何進父)と再婚し、何皇后を生んだ。よって何皇后は何苗の異父妹になり、かつ何進は父母を異とする義兄となる。
何らかの理由で、母の再婚相手の姓に改めたと考えられる。*7
☆慶純⇒賀純
呉の賀斉の叔父。
元は慶姓だが、時の安帝の父親、清河王劉慶の諱を避けて賀姓に改めた。*10
☆耿雍⇒簡雍
元々は耿姓だが、幽州の人が「耿」を「簡」と発音したので、その音に従って改めた。*11
☆氏儀⇒是儀
元は氏姓。郡吏であった際、北海太守であった孔融は、「氏」字が「民」字の上部分を除いたものであると嘲笑った。そして「是」姓に改めるよう言ったので、改姓した。
しかし裴注が引く徐眾は、安易に改姓をした孔融と是儀を批難している。*12
☆呂政⇒
( ゚д゚ )
☆霍弗陵⇒
( ゚д゚ )
☆袁叡⇒
( ゚д゚ )
☆牛睿⇒
( ゚д゚ )
*1:『三国志』陳矯伝、裴松之注引『魏氏春秋』
矯本劉氏子、出嗣舅氏而婚于本族。徐宣每非之。
*2:『三国志』朱然伝
朱然字義封、治姉子也。本姓施氏。初治未有子、然年十三、乃啟策乞以為嗣。……然為治行喪竟、乞復本姓、權不許。績以五鳳中表還為施氏。
*3:『三国志』劉封伝
劉封者、本羅侯寇氏之子、長沙劉氏之甥也。先主至荊州、以未有繼嗣、養封為子
*4:『三国志』孫韶伝
孫韶字公禮。伯父河、字伯海、本姓俞氏、亦吳人也。孫策愛之、賜姓為孫、列之屬籍。
吳書曰、河、堅族子也。出後姑俞氏、後復姓為孫。
*5:『三国志』王平伝
王平字子均、巴西宕渠人也。本養外家何氏、後復姓王。
*6:『三国志』馬忠伝
馬忠字紱信、巴西閬中人也。少養外家、姓狐、名篤。後乃復姓。改名忠。
*7:『三国志』董卓伝、裴松之注引『英雄記』
苗、太后之同母兄、先嫁朱氏之子。
『続漢書』五行志一
皇后同父兄何進為大將軍、同母弟苗為車騎將軍。
『続漢書』五行志二 草妖
皇后兄何進、異父兄朱苗、皆為將軍、領兵。
*8:『三国志』武帝紀
養子嵩嗣、官至太尉。莫能審其生出本末。
吳人作曹瞞傳、及郭頒世語並云、嵩、夏侯氏之子、夏侯惇之叔父。
*9:『三国志』曹真伝
曹真字子丹、太祖族子也。……。
魏略曰、真本姓秦、養曹氏。
或云、其父伯南夙與太祖善。(秦伯南)遂害之。由此太祖思其功、故變其姓。
*10:『三国志』賀斉伝
賀齊字公苗、會稽山陰人也。
虞預晉書曰、賀氏本姓慶氏。齊伯父純、儒學有重名、漢安帝時……公車徵。避安帝父孝紱皇帝、改為賀氏。
*11:『三国志』簡雍伝
簡雍字憲和、涿郡人也。……。
或曰、雍本姓耿、幽州人語謂耿為簡、遂隨音變之。
*12:『三国志』是儀伝
是儀字子羽、北海營陵人也。本姓氏、初為縣吏、後仕郡、郡相孔融嘲儀、言氏字民無上、可改為是、乃遂改焉。
徐眾評曰、古之建姓、或以所生、或以官號、或以祖名、皆有義體、以明氏族。……教人易姓、從人改族、融既失之、儀又不得也。
*13:『三国志』張燕伝
張燕、常山真定人也。本姓褚。……燕推牛角為帥、俱攻廮陶。牛角為飛矢所中。……牛角死、眾奉燕、故改姓張。