『吉川三国志』群星の巻 「貂蝉」
もともと貂蝉は中国の「三国志」説話の中から発生した人物であり、史料に典拠がある人ではありません。そのためか日本の「三国志」作品では、すごい色々な貂蝉が登場します。本当に千差万別です。『秘本三国志』では仏教を信仰する胡人で、『蒼天航路』では野心に溢れる女性、『興亡三国志』では関羽との悲哀を演じ、一方で『北方三国志』のように登場しない作品もあります。王允、董卓、呂布、関羽への想いも様々、その最期も各々です。
その中で、『三国志演義』は貂蝉を極めて高く評価した作品でした。蜀漢勢を除いたら、たぶん一番の評価かもしんないです。それの理由は羅貫中が、漢朝に対する「忠」と王允に対する「孝」を貂蝉に求めていたからです。『演義』校訂者である毛宗崗も、貂蝉は高祖や光武帝の功臣に匹敵する漢家の忠臣であると評し、またその為に本文を改編している箇所もあります。たとえば、従来の『演義』における貂蝉の最期は、呂布死後の貂蝉は他の家族と共に許都に行った、とされていましたが、毛宗崗はこれを削って「その行方はわからない」としました。たぶん、漢朝の忠臣たる貂蝉が、漢家の逆賊(曹操)のもとに行くのは相応しくない、と考えたのではと僕は思っています。
また『演義』は、貂蝉の「貞節」にも注意を払っています。いかに貂蝉の貞節を貶めぬよう、かつ「二夫に見える」という貞節に反する連環計を行わせるか。たとえば仙石知子先生は、貂蝉の設定が「呂布の妻」から「歌妓」に変化した事が、貂蝉の「貞」を成り立たせるための工夫であったと指摘されています。
そして吉川英治も、以上の『三国志演義』貂蝉像をとても丁寧に引き継ぎ、その上で彼女の「忠」「孝」「貞」を当時の日本人の価値観に沿って再現するために、いろいろと表現の工夫をしたと思われます。その最たるものが、連環計を果たした貂蝉が自害するという、あの吉川独自の創作なのではと僕は考えています。結果として最後まで呂布という漢の逆賊を拒んだことは、これは「漢への忠」であります。また自身の身体を守ったという「貂蝉の貞節」でもあります。そして王允が董卓誅殺に殉死したことを考えれば、同時に「王允への孝」でもあります。
羅貫中や毛宗崗が目指した貂蝉の「忠」「孝」「貞」、それらを全てひっくるめた貂蝉の自害。あくまでも『三国志演義』の文学観に従った、吉川英治の見事な創作だと思います。
ところが、ここで見事に退場したはずの貂蝉が、実は『吉川三国志』ではもう一度だけ登場します。呂布が徐州に割拠している時ですね。これもまたこれで、今度は呂布の人物像を巧みに再現した創作であると言えるのですが、その件はいずれ別に書きたいと思います。
- 作者: 吉川英治
- 出版社/メーカー: 新潮社
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