魏の"呂通"なる人
水軍の中央は黄旗の毛玠と于禁、前軍に紅旗の張郃、後軍に黒旗の呂虔、左軍に青旗の文聘、右軍に白旗の呂通を配した。陸上の前軍には紅旗の徐晃、後軍に黒旗の李典、左軍に青旗の楽進、右軍に白旗の夏侯淵である。水陸路の接應使には夏侯惇と曹洪、護衛往来監戦使には許褚と張遼となった。
―『三国志演義』第四十八回「宴長江曹操賦詩 鎖戰船北軍用武」
時は赤壁の決戦の直前、錚々たる魏の名将たちにしれっと混じっているこの"呂通"なる人物。『三国志演義』のこの一ヵ所にしか見られない謎の人物で、僕も昨日ひょんなことから見つけるまで全然知りませんでした。
最初は訳本の誤字だろうと思ってたのですが、『三国志演義』の原文を見てもやはり"呂通"。どの訳本にも"呂通"。渡辺精一先生の『三国志演義人物辞典』にも載っていましたが、しかし「この場面でのみ名前が見える人物」としか書いていない。かの沈伯俊先生の校理本ですら何も触れていませんでした。
うーん、これはおかしい。一緒に並んでいるのがいずれも『三国志』巻十七と巻十八に列伝を持つ有名将軍たちですから、"呂通"もやはりそれに匹敵する人物であるはずです。さしずめ「李通」あたりの誤字、とか。
そこでその正体を知るべく、古い時期の『三国志演義』を見てみました。すなわち、李卓吾本、周曰校本、嘉靖本と言われる版本たちです。
ちなみに各本の関係はこの通り。
ところが、現存最古の『三国志演義』である嘉靖本を見ても、やはり"呂通"でした。他の版本も同様。これはちょっと驚きです。『演義』のちょっとした疑問なら、大抵は嘉靖本まで遡ればだいたいの見当はつくものです。嘉靖本でも分からないとなれば、これはもう「二十巻本」系統を見るよりない。
現存する三十数種の『三国志演義』版本は、その成立の近しさによって、いくつかのグループ、系統に分類されます*1。そのひとつが「二十四巻系」であり、嘉靖本や毛宗崗本もここに含まれます。一般に目にする「三国志演義」は、すべてこの系統に属します*2。
対して「二十巻繁本系」というグループは、普通は目にすることは全くありませんが、しかし嘉靖本よりも更に古い時代の『三国志演義』の面影を残しているのです。それは「二十四巻本系統」と「二十巻繁本系統」が以下の関係にあるからです。
たしかに嘉靖本は、現存する全版本で最も古い本です。しかしだからと言って全版本のルーツという訳ではありません*3。嘉靖本よりも更に古い時代に「二十四巻系」と「二十巻繁本系」が分岐しているため、「二十巻繁本系統」には嘉靖本よりも古い時代の文章が残されている可能性があるのです。
と、いう『三国志演義』版本の関係を踏まえ、「二十巻繁本系」に属する葉逢春本や余象斗本を見たところ、果たして「余象斗本」で見つけました、「李通」という文字を*4。やっぱり「呂通」は李通の誤字でした。それもかなり古い時代(500年以上前)以来、誰もがそのまんまにしていた誤字でした*5。
このように『三国志演義』の版本たちは、より古い、時としてより正しい『三国志演義』の文章を復元させることができます。それは現存する『演義』版本の多くが、単純な主従関係ではなく、上図のような平行の関係にあるからです。
今現在、最古の『三国志演義』祖本はまだ決まっていません。
*1:分類法にもいくつかあるのですが、僕は以下で紹介する中川諭先生の分類が分かりやすくて好きです。
*2:現在の日本語訳本は全て毛宗崗本で、それ以外を目にすることはまずありません。ただ、たとえば『吉川三国志』は李卓吾本に(間接的に)基づく小説ですし、また小川環樹先生の訳本は一部に嘉靖本の文章を含んでいます。だから「二十四巻系」ならば知らずのうちに目にする機会もなくはないです
*3:かつてはそう考えられていました。
*4:その他でも確認できた限りの「二十巻繁本系」版本が、いずれも李通としてました。なお「葉逢春本」は該当箇所が欠落してるので不詳です
*5:先行研究(訳本とか辞典とか)がみんなスルーしていた「呂通」に僕が気がついた理由は、とある子供向け三国志漫画に「呂通」が登場していたからです。こうゆう入門的三国志漫画には思わぬ発見があります。と言うのも、こういうものを描かれる漫画家さんは、あまり三国志にお詳しくない方が多い。そういう方の漫画だと、三国志をそこそこ知る人ならば普通はスルーするような要素まで、三国志を知らないがゆえに、かえって『演義』に忠実に描いたりするんです。