三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

『漢晋春秋』の蜀漢正統論

 中村圭爾先生の「魏蜀正閏論の一側面」(『六朝政治社会史研究』(汲古書院、2013)収録)を読んだ感想であります。

 習鑿歯『漢晋春秋』の蜀漢正統論は、『四庫提要』が言うように蜀漢と同様に亡命政権を建てた東晋の正統性を主張するため、と解釈されてきました。あるいは『晋書』習鑿歯伝の言う、桓温の野心に対する牽制ともされます*1
 でも中村先生は、更なる習鑿歯の真意に踏み込みます。自分が興味を感じたところをまとめますと、以下の通りです。

 習鑿歯『漢晋春秋』は漢から晋の継承を主張する。魏は僭称にすぎず、また蜀漢は正統なる漢の一部である。しかし習鑿歯の真意はあくまで「尊晋」にあり、その点では陳寿三国志』と同様である。共に「尊晋」を目的にしながら、陳寿は魏を正統とし、習鑿歯は漢(蜀)を正統とする。
 陳寿が「尊晋」のために魏を正統とする理由は、司馬炎が魏から受禅したことを重視するから。しかし習鑿歯は、魏の正統性を退け、司馬炎による天下統一の大功をより重視することで、漢晋継承こそが「尊晋」を導くのだとした。
 面白いのは、高貴郷公弑殺という司馬氏最大のタブーに対する処し方。陳寿は司馬氏のために曲筆してこの事実を隠す。しかし習鑿歯は直言してこれを隠さない。なぜ習鑿歯はそんなことができたのか。
 陳寿がこれを隠蔽するのは、高貴郷公弑殺が「皇帝殺し」だから。魏を正統王朝とし、魏晋革命を正統性の拠り所とする魏晋継承論において、その拠り所を揺るがす高貴郷公弑殺は絶対に隠蔽しなくてはならない。
 しかし習鑿歯の漢晋継承論にとっては、魏朝やその皇帝たちは僭称にすぎず、高貴郷公弑殺もただの「僭称の主殺し」である。晋の正統性を揺るがすものではない。
 漢晋継承による「尊晋」とは、実質的簒奪であった魏晋革命に拘泥せずとも晋の正統性が示せることにある。それは同時に、禅譲を企む桓温の野心という現代的問題を牽制することにもなった。

 僕はこれまで『漢晋春秋』の蜀漢正統論にばかり目を奪われていましたが、より重要なことは漢晋継承論によって「尊晋」を示すことだった、とのことでした。目からウロコです。


 しかし東晋に生きる習鑿歯だからこそ、こんな大胆な漢晋継承論が言えたんですね。
 陳寿は「尊晋」のため魏の正統を主張しましたが、一方では故国である蜀漢を密かに宣揚しようと様々な苦心をこらしました。ならば晋の正統性を損なうことなく故国の正統性を大々的に示す習鑿歯の漢晋継承論は、陳寿にとってこの上なく都合のよい理論のように思われます。
 でも陳寿の障害は皇帝司馬氏のみではありません。
 漢晋継承論の根拠は、司馬氏の偉大さを魏晋革命ではなく天下統一の大功に求めることにあります。つまり承魏か承漢かという問題は、「晋の功臣」の問題にも繋がるの思います。
 当時西晋の中枢を占めていた貴族層は、いずれも魏晋革命に功績のあった者や曹魏以来の勢族であり、対して孫呉平定に関わった杜預や張華らは貴族層から外された中流官僚に過ぎません。漢魏・魏晋革命を否定する漢晋継承論を唱えることは、その貴族層を否定するということになります。陳寿にできようはずもありません。『三国志』魏臣列伝は単に曹魏の功臣を扱うのでなく、多くは「西晋当時に貴族層と化した」曹魏の功臣を顕彰します。陳寿を束縛していた西晋とは、司馬氏そのものよりもむしろ圧倒的な貴族社会なんだと思います。

 陳寿は『三国志』を著してのち、張華に「晋史も君に任せたいものだ」と評されました。一方で習鑿歯も晩年に晋史編纂を任されようとしたとあります。
 西晋陳寿の魏晋継承論、東晋の習鑿歯の漢晋継承論、どちらもそれぞれ当時の求めに適った歴史観だったことが窺えます。

*1:ほか、田中靖彦先生の「『漢晋春秋』に見る三国正統観」では、故郷(襄陽)を宣揚し、かつ桓温を賛美することによる、習鑿歯の就活だとされています。疑問点はいくらかありますけど、『漢晋春秋』の一部分としてはありうると思います。