三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

蔡邕の娘

 

 西晋の名将羊祜と司馬師の皇后羊氏の姉弟が、かの蔡邕の外孫であることは有名です。
 ただ、右図を見ての通り、羊姉弟と蔡邕では生没年がずいぶんと離れてますよね。蔡氏が蔡邕最晩年の娘だったとしても、30年は離れすぎです。蔡氏はわりかし高齢の出産だったのかも。

 ところで、羊祜らの父羊衜には先妻がありました。孔融の娘です。しかし彼女は"どうしてだか"羊衜のもとからいなくなり、のちに蔡氏が後妻として迎えられました。その時期は"もしかしたら"208年以降かもしれません。もしそうだとするならば、蔡氏が羊皇后を生んだ215年とも時期的に近い。
 ただ、これでは父の没後15年以上も経ってからの結婚ということにもなります。蔡邕の享年を考えると、あまり蔡氏を最晩年の娘とするのも難しい。蔡氏はわりかし晩婚だったのかも。

 ところで、蔡氏には姉妹がありました。蔡琰といいます。実は彼女も晩婚だったようで、"どうしてだか"208年ごろになって董祀と再婚しています。蔡琰は、蔡邕生前の時点で一度結婚していますから、再婚した時にはそれなりの年齢だったはずです。
 それにしても蔡琰は、"どうしてだか"父の没後15年も再婚しなかったわけです。その点でも蔡氏と似ており、"どうしてだか"この姉妹は192年ごろから208年ごろまで結婚をしていない。"どうして"でしょうか。