唐の正統観
長い分裂時代をへて久しぶりの長期統一国家となった唐では、自分たちがどの国家を継承しているかについてしばしば議論になったと聞きます。
そのことが二王三恪の制にも表れています。
(天寶)七載五月……以 魏、周、隋為三恪。
九載……、九月辛卯、以商、周、漢為三恪。
十二載五月己酉、復魏、周、隋為三恪。
―『新唐書』巻五 玄宗紀
二王三恪とは、前王朝、前々王朝、前々々王朝を祀り、その子孫を賓客として遇する礼です。曹魏が漢の劉協を山陽公とし、また西晋が魏の曹奐を陳留王としたのはこの礼に依ります。
唐では、はじめは北魏、北周、隋を三恪としていましたが、のちにこれを殷、周、漢に改め、さらにまたもとの北魏、北周、隋とした、とあります。つまり北魏⇒北周⇒隋⇒唐を正統なる王朝の系譜とするか、殷⇒周⇒漢⇒唐を正統とするかで揺れ動いてる様子が見られます。
現実的に考えれば北魏⇒北周⇒隋⇒唐という王朝交代が当たり前というか、普通の感覚だと思いますが、一方で非統一王朝である魏晋南北朝時代の王朝を正統から廃し、唐は漢から継承した、と見なす理念もあるわけです。
ちょっとうろ覚えなのですけど、たしか唐は土徳を称していて、つまり、
殷(水)⇒周(木)⇒漢(火)⇒魏(土)⇒晋(金)⇒魏(水)⇒周(木)⇒隋(火)⇒唐(土)
殷(水)⇒周(木)⇒漢(火)⇒唐(土)
という、周の土徳を漢と隋どちらの火徳を継承したものとするかという問題だったはずです。
これを見る限りでは北魏、北周、隋を結論としたようですけど、隋唐期の正統論争はけっこう複雑にいりくんでて面白いらしいです。気になりますね。