三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

張飛の蛇矛

 前半は、上原究一さんの論文「丈八蛇矛の曲がりばな ―張飛像形成過程続考―」(『三国志研究』七、2012)に依っています。後半の日本の話は袴田の独自調査です。
 張飛の蛇矛についてはネットだとずいぶん違ったことが書かれているので、自分の知っている限りをまとめました。
 ・wikipedia -「蛇矛」
 ・ピクシブ百科事典 -「蛇矛」
 ・武器図書館 -「蛇矛」


 ○蛇矛の起源
『晋書』卷一百三 劉曜戴記にこうある。

劉曜は自ら陳安を征伐し、隴城で陳安を包囲した。……陳安は左手に七尺の大刀を、右手に丈八の蛇矛を振るい、敵が近づけば大刀と蛇矛で同時に攻撃し、五六人を倒した。
 曜親征陳安、圍安于隴城。……安左手奮七尺大刀、右手執丈八蛇矛、近交則刀矛俱發、輒害五六。

 上原さんによると、これを初出として、「丈八蛇矛」の語は唐代以降の資料に散見される。
 しかし、ここの蛇矛に「ヘビ」の意味はない
 この「蛇」は、矛を意味する「釶」「鉈」などの音通である。蛇矛とは、「長柄の刺突武器の総称」なのである。「ヘビのように曲がりくねった穂先の矛」というイメージは「蛇」の字面に引きづられた後世の付会だろう
 第一、刺突武器の穂先が曲がりくねっていては刺さりにくく抜けにくいだろうから、およそ実戦的な設計とは思えない、と。


張飛と「曲がりくねった蛇矛」
 現存最古の版本に近しい葉逢春本には、すでに張飛の武器として蛇矛の語が見える。

旁邊一將、圓睜環眼、倒豎虎鬚、挺丈八蛇矛。飛馬大叫、三姓家奴休走、燕人張飛在此。
  ―「葉逢春本」第十則「虎牢関三戦呂布

 しかし上原さんによれば、この葉逢春本含め、初期の『演義』中の挿絵で張飛の蛇矛を「曲がりくねった穂先」と描いているものはない。
 さらに先の陳安の一場面を描いた挿絵が『東西両晋志伝題評』(万暦二十一年前後刊)に含まれているが、やはり穂先は真っすぐである。
 また蛇矛使いとして有名な『水滸伝』の林沖についても、明刊本において「曲がりくねった蛇矛」を持った図はない。

 張飛が「曲がりくねった蛇矛」を持つ図の初出は、上原さんが見る限りでは『漢寿亭侯志』(万暦二十八(1600)年序)である。「虎牢関三戦呂布」を描いた挿絵にて、張飛が「曲がりくねった蛇矛」を持っている。
 しかし「曲がりくねった蛇矛」がすんなり張飛に定着したわけではない。
 清代や民国期に出版された『演義』の図を見ても、張飛の穂先は曲がっていたりまっすぐであったり一定しない。「張飛の得物の穂先が全て曲がっており、趙雲など普通の槍の使い手の武器の穂先は一つも曲がっていない」という現代の蛇矛イメージに近い作品は、ひとつもない。民間版画でも張飛の武器の形状は一定しない。
 張飛の武器と言えば穂先が曲がりくねった蛇矛だ、という今日の常識が絶対的なものとなったのは二十世紀以降のようだ、と。

 そもそも、『演義』は張飛の武器を常に「蛇矛」と表記するわけではない。ほかに「點鋼矛」などの表記もある。つまり『演義』本文は一貫して張飛の武器を「一丈八尺の鋼の柄の長い矛」として表現しているに過ぎない。
 さらに「張飛の武器と言えば長柄の刺突だ」という認識自体は南宋や元代頃には固まっていたようだが、『平話』や元刊本雑劇や『花関索伝』など元代の通俗文芸で「蛇矛」のタームが使われた形跡はない、と。


○日本における張飛の蛇矛
丈八蛇矛の分かればな(2012/10/7)
和製蛇矛の曲がりばな その1(2012/12/27)
和製蛇矛の曲がりばな その2(2013/1/12)

 では、日本においては蛇矛はどう描かれているのか。
 近世近代の三国志受容の中核であった『絵本通俗三国志』(天保七年(1836)年〜十二(1841)年刊)。
 そこでは、張飛の蛇矛は曲がりくねるでもまっすぐでもなく、すべて三叉槍のような形状で描かれた*1
 そしてこの「三叉の蛇矛」は、明治中期頃から多数刊行された「三国志」の読本や絵本でも頻繁に見られる。当時もっとも影響力が大きかった『絵本通俗三国志』の描写が、この時代の基準になっていたと思われる。
 
 昭和以降になると『絵本通俗三国志』の勢いが衰えたためか、「三叉の蛇矛」の事例も減少する。かと言って「曲がりくねった蛇矛」がそれに代わったわけでもない。
 昭和四十七(1972)年から連載が始まった横山光輝三国志』において、蛇矛は大薙刀のような形状で描かれた。
 一方で昭和五十四(1979)年から連載された久保田千太郎・園田光慶三国志』では、「三叉の蛇矛」とされた。依然として「曲がりくねった蛇矛」は現れていない。

 ところが横山光輝園田光慶は、共に中盤のあるコマを境として突如「曲がりくねった蛇矛」を描き始め、以降は一貫して「曲がりくねった蛇矛」とした。
 この「あるコマ」は特定されているが、そのコマの正確な初出年月は未確認である。しかしいずれも、およそ80年代初頭と思われる。
 以降、日本の三国志では急速に「曲がりくねった蛇矛」が普及した。「人形劇三国志」(1982〜)、日本初の三国志アニメである日テレ「三国志」(1985〜)、『蒼天航路』(1994〜)、「三国無双」(1997〜)、どれも張飛の蛇矛を「曲がりくねった蛇矛」とする。
 日本における「曲がりくねった蛇矛」の定着は80年代初頭であろう。
 なぜその時期に急速に広まり、定着したかについては、おそらくこちらの記事での指摘と関係しよう。


○日本における「曲がりくねった蛇矛」の初出
 ただ上記記事を書いたあと、それ以前において「曲がりくねった蛇矛」が描かれた事例もいくつかだが見つかった。
 ①桂宗信画『絵本三国志』(天明八〈1788〉年刊)
 ②重田貞一作・歌川国安画『三国志画伝』(天保二〈1831〉年〜五〈1834〉年刊)
 ③吉川英治三国志』(中外商業新報、昭和十四〈1939〉年掲載)
 ④村上知行『三国志物語』卷一(中央公論社、昭和十四〈1939〉年)
 時期で考えれば、①②は『絵本通俗三国志』の以前であり、③④は『絵本通俗三国志』と横山光輝三国志』の中間である。
 特に①と②という、『絵本通俗三国志』以前の「曲がりくねった蛇矛」の事例が出てきたのは興味深い。定着には至らなかったにせよ、近世にてある程度「曲がりくねった蛇矛」が普及していた可能性もある*2

*1:ちなみに、『通俗三国志』ならびに『絵本通俗三国志』には、原書で「點鋼矛」とするところをわざわざ「蛇矛」と訳出している箇所があるため、日本では早い段階から「張飛といえば蛇矛」という認識が狭からずあったと思われる。

*2:あるいは、江戸時代では「曲がりくねった蛇矛」が定着していたにも関わらず、『絵本通俗三国志』が独自に「三叉の蛇矛」を描いたためにそちらがイメージの主流となった、という可能性を考えることもできる。『絵本通俗三国志』は多くの点で、従来の三国志画を覆す、新たなスタイルをもたらしたとの指摘がされている