三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

蔡邕の娘の子供の伯母

羊祜字叔子、泰山南城人也。……祜、蔡邕外孫、景獻皇后同産弟。
 ――『晋書』羊祜伝

景獻羊皇后諱徽瑜、泰山南城人。……后母陳留蔡氏、漢左中郎將邕之女也。
 ――『晋書』景獻羊皇后伝


 ご存知の通り、羊祜と羊皇后の母親は蔡邕の娘(済陽県君)なんですけど、ところでこんな逸文もあるんです。

三十國春秋曰、羊祜年十五而孤、事伯母蔡氏、以孝聞。蔡氏毎歎曰、羊叔子可謂能養今顔叔子也。其諸葛孔明之亞乎。
 ――『太平御覽』巻五一三

  • 三十国春秋に曰く、羊祜は十五歳にして父を失ったが、伯母である蔡氏に仕え、孝行で知られた。蔡氏はいつも歎息して、「叔子(羊祜のあざな)は古の顔回みたいだ。彼は諸葛孔明にも次ぐだろう」と言っていた。


 逸話自体も興味深いんですけど、ちょっと面白いと思ったのはこの話に蔡氏という羊祜の伯母が登場することです。

 ちょっと前から僕の周辺で、また「羊祜の母親は蔡文姫」って解釈が話題に上るようになってます。
 これ自体は皆が言っている通り文献史料に基づくものではなく、単なる誤読で説と呼べるものではないのですけど、文学的な創作としてはなかなか魅力的な見方かなって思います。
 ただもし文学的創作というならば、これは僕個人の好みなんですけれど、この伯母なる蔡氏こそが実は蔡文姫だった...とかの方が、おもしろくありませんか?
*1

*1:もちろん、この逸文はあんま信用できないですけどね。『晉書』羊祜伝には、羊祜が十二歳で父を亡くして叔父羊耽に仕えたとあります。また羊祜が顔回に比せられたというのも、羊祜伝や『世説新語』賞譽篇にあり、こちらは太原の郭奕が評したことになっています