三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

曹操の娘と関羽の恋 【曹月娥】

 「淮劇」(揚州一帯の地方劇)に『関公辞曹』という出し物がある。その内容はまた少し変わっていて、曹操の娘曹月娥が関羽に恋する悲劇である。関羽曹操に助けられて一時曹操のもとに身を寄せたが、その恩を返したのち、別れを告げて許昌を離れる。それを知った曹月娥は、必死になって関羽に追いつき、「同行させて」とすがる。だが関羽は、奸臣の娘をつれていくわけにいかない。悲しんだ曹月娥は、関羽の前で自殺してしまう。関羽の恋……これは民間芸人の大胆な創造であった。関羽を"神"と見なしている人たちにとっては、とんでもないことだったろう。
 −丘振声著/村山孚訳『『三国志』縦横談』(新人物往来社、1990)


 こんな物語があったなんて、初めて知りました!
 父曹操のみならず、その娘までもが恋するとは、さすが関羽は英雄...


 ところで、丘振声先生はこの物語を「大胆な創造」、「関羽を神と見なしている人たちにとっては、とんでもないこと」と見ておられますけど、僕にはむしろ伝統的な関羽像に則った話に思えました。
 というのも、仙石知子先生によれば、関羽によって表現される「義」には実はさまざまな種類があるのですが、そのうちのひとつに「男女の義」というのがあるのだそうです*1
 これは要するに、男女の関係・女性の貞節とはかくあるべきだというのでして、仙石先生が具体例に挙げられているように『演義』の随所で見られます。その中でもひときわ有名なのが「秉燭達旦」の故事です。
 下邳から許都へ向かう途中、曹操関羽の君臣の義を乱そうと、あえて関羽と兄嫁たちを同じ部屋に泊らせる。しかし関羽は一晩中部屋の外に侍立して兄嫁たちの節を守り抜いた、ってやつです。
 この故事は元来『演義』にはありませんでしたが、毛宗崗はこの故事が史実でないと承知の上で敢えて挿入しました。如何にこれが関羽の「義」において重要なものであったかが窺えます。


 文芸上の関羽は好色とは無縁の人物ですから、一見すると女性との縁がほとんど描かれていないように思われがちですけど、むしろこの「男女の義」ゆえに割と接点が多い方じゃないかと思います。
 そうした時、僕が曹月娥の物語と似てるなって思い出したのが、「関公斬貂蝉」のエピソードです。
 『演義』が成立する前後から広く知られていた故事でして、もともとは「呂布滅亡後、曹操に囚われた貂蝉が保身のために関羽を籠絡しようするが、それを関羽が不義不貞と断じて、禍の元として斬り殺す」といったあらすじでした。
 しかし後世、『演義』の影響で貂蝉を忠節の人物と見なすようになると、貂蝉を単に断罪するだけだった「斬貂蝉」はだいぶ変化します。
 つまり貂蝉が純粋に関羽を慕って側に置くよう求めるようになったり、関羽貂蝉の不貞(漢朝のため董卓呂布に通じたこと)を義の成す上でのやむを得ないことと認めたり、です。さらに作品によっては明確に関羽貂蝉の恋を描くものも出てくるようになります。
 しかしそのような作品でも、関羽は最終的には義を通して貂蝉を拒みます。そして関羽に拒まれた貂蝉は、貞節を守るために自害(あるいは出家)するのです*2

 このように「斬貂蝉」は、関羽貂蝉の悲哀を描きつつも、義や貞節という「男女の義」を根底のテーマとする物語です。
 ここまで来ると、だいぶ曹月娥の物語と似てきませんか?
 曹月娥の物語も関羽曹操の元にいた時という舞台設定ですし、また関羽が義の上で曹月娥を拒むこと、そして拒まれた曹月娥が守節のために自ら果てるという基本テーマも「斬貂蝉」とそっくりです。ヒロインが共にやむにやまれぬ不義(貂蝉は国家のための不貞、曹月娥は奸臣の娘)を内包しているという点でも共通していますし、貂蝉の役割をそのまま上手く曹月娥に移し替えたって感じです。
 このように、一見して奇抜に見える曹操の娘と関羽の物語も、男女の悲哀を描くと同時に「男女の義」をも表現しているって言う点で、実は伝統的な関羽物語を踏襲するものなんじゃないか、と僕は思うのです。



 また付け加えれば、そもそも英雄が悪玉の娘と悲哀を演じるっていうプロット自体が古今に広く見られるものですよね。
 最近でも趙雲を主人公とした「三國之見龍卸甲」(邦題は「三国志」)ってゆう映画では、曹操の孫娘がヒロインになってたそうです。

*1:仙石先生による関羽の義に関する研究には、「毛宗崗本『三国志演義』における関羽の義」(『東方学』126、2013)、「毛宗崗本『三国志演義』における「関公秉燭達旦」について」(『三国志研究』9、2014)があります。

*2:関羽貂蝉に関しては以下の研究があります。
後藤裕也「「斬貂蝉」のものがたり 清代の説唱文学を中心に」(『関西大学中国文学会紀要』24、2003)
伊藤晋太郎「関羽貂蝉」(『日本中国学会報』56、2004)
大塚秀高『関羽貂蝉を斬るのはなぜか 弾唱小説と異端小説』(『狩野直禎先生傘寿記念 三国志論集』、2008)
仙石知子『毛宗崗本『三国志演義』に描かれた女性の義』(『狩野直禎先生傘寿記念 三国志論集』、2008)