曹操の玄孫
さっき新漢籍全文を使っててたまたま見つけたやつです。
曹侯村 魏武帝玄孫曹叔良所居、今相公橋左王宅園是也。
―『重修曹谿通志』卷一 山川形勢第一 古蹟
山初未有名、因魏武玄孫曹叔良避地居此、以姓名村。而水自東遶山、而西經村下、故稱曹溪。
―『重修曹谿通志』卷一 建制規模第二
『曹谿通志』に曰く、むかしこの地に曹操の玄孫である曹叔良が遷り住んできたことから、これになんで村を「曹侯村」と名付けた。さらに東の山から西へ村に流れる川があったので、これを「曹溪」と名付けた、と。
へー、、、
曹叔良って誰なんでしょうね。というかどこなんでしょうこれ。
ちょっと眺めてみた感じですと、『曹谿通志』とは、禅宗の高僧である大鑑禅師慧能が住まわった曹渓宝林寺に関する地理志みたいです。そして曹渓は現在の広東省韶関市曲江区(後漢の荊州桂陽郡曲江県)にあるようです。⇒wikipedia「慧能」
慧能とは、「中国禅宗(南宗)の第六祖」であり、「後の五家七宗全てがその一門から出た」ほどの中国禅宗史における重要人物なのだそうですが、仏教には疎いもので、、、
ちなみに、『曹谿通志』にも「曹溪六祖大師、俗姓盧氏。其父行瑫范陽人」とあるように、慧能は范陽出身の盧氏だそうです。范陽の盧氏といえば、そう盧植。もしかしたら同族とかかも。あ、慧能は初唐の人物です。
さらにちなみに、曹渓山に遷った慧能に寺社を提供した人物こそ、他ならぬ曹叔良だったって話もあるそうですよ。
ちょっとなんか不思議な感じですね。