「三国志 Three kingdoms」全95話を観る その2
第2話「曹操、亡命す」
◆呂布と貂蝉の出会い
曹操が王允秘蔵の七星刀を使用したことから、董卓が王允を暗殺計画の黒幕かと疑う
⇒命を受けた呂布が王允邸に乗り込み、思いがけず貂蝉と出会う
⇒貂蝉は父の無罪を呂布に釈明
⇒王允邸にちゃんと七星刀(実は偽物)があったため、呂布も疑いを解く
という流れで、本作では演義より一足早く、呂布と貂蝉を接触させています。演義にはない、本作のオリジナルストーリーですね。
貂蝉は、言わずもがな架空の人物ですけど、彼女をどう扱うか、そしてどういうキャラクターとして描くかでその作品の性格が決まると言っても過言ではない、重要な人物です。
僕の見るところ、貂蝉のキャラクターはだいたい次の三要素の比重で決まります。漢に対する想い、義父たる王允に対する想い、呂布(あるいはほかの男性)に対する想いです。
たとえば演義の貂蝉ですと、漢や王允に対しては厚く忠と孝をそそぐ一方で、呂布は単なる計略上のターゲットとしてしか見ていません。漢10:王允10:呂布0、みたいなイメージです。こうすることで、演義は貂蝉を忠孝に満ちた理想の女性として描くことに成功したのですが、まあ正直面白味は全然ないです。演義の貂蝉はあまりに決断的すぎて、葛藤とかがまるでないんですから。
これが例えば、漢7:父7:呂布7とかだと、計略と呂布との狭間で葛藤する悲哀的な貂蝉になります。中国で伝統的な貂蝉像がたぶんこんな感じだと思います。見た感じ、本作の貂蝉もこれになりそうな気がします。
あるいはほかの作品を見れば、『蒼天航路』は、漢1:父1:董卓7ってところでしょうか。破格の大悪党に惹かれる、非常に野心的な女性でした。漢0:父0:呂布0なんて貂蝉もありました。主体性を持たず、ただただ運命に翻弄される悲運の女性です。陳舜臣『秘本三国志』や無双3がこんなイメージでした。日本の貂蝉は、わりにこのパターンが多いかな?
◆桃園の誓い
実にあっさりとした桃園の誓いでしたねえ。話と話の間にとりあえず挿し込んだって感じです。いいのかこんなので。
ところでこないだふと気づいたんですけど、日本と中国では桃園の誓いのイメージが違くないですか?
中国の桃園の誓いだと、本作がそうであるように、三人が横並びになって天に向かって義兄弟になることを誓います。でも日本の桃園の誓いは、あんまこうしたかたちをとらず、もっぱら三人が互いに向き合って、盃なり武器なりを合わせて誓いを交わすことが多い気がします。つまり何に対して義兄弟となることを誓うのかが違うと思うんです。天地神明に誓う中国と、お互いに誓い合う任侠的な日本、です。
いや何でこう思ったかと言うと、こないだちょっと演義のマンガを描かれた漫画家さんとやりとりする機会があったんですけど、その方はどうも中国的な桃園の違いがピンとこなかったらしいんです。桃園の誓いってのは天に向かって誓うものなんですと僕が言っても、なかなか通じない。
でも考えてみたら、そもそも僕にも桃園の誓いといえば乾杯のイメージがある。和丸さんのイベントとかで、普通に「生まれた時は違えども〜」って乾杯してた。桃園の誓いになぞらえて乾杯するってのは三国志オタクあるあるで、うちの師匠なんかは怪しい秘密結社みたいだと笑うんですけど。考えたらこれも中国的な桃園の誓いからは出てこない発想です。
日中の三国志イメージの違いとして、ちょっと面白そうじゃないですか?
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