三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

「関雲長(邦題:KAN-WOO 関羽 三国志英傑伝)」を観た

 関羽を主人公に、『三国志演義』の一幕である「五関斬六将」をクローズアップしたアクション映画です。
 面白かった。
 いや「レッドクリフ」でも「三国之見龍卸甲」でも僕いっつも「面白かった」しか言ってないですけど、これも本当に面白かった。見どころがたくさんありました。

 見どころのひとつ目は、言わずもがなですけどアクションシーンです。
 と言っても僕は中国映画ニュービーですし、アクションのことは全然わかんないですし。ドニー・イェンも初めて知ったくらい。
 だから、どこがどうすごいかはもちろんわかんないんですけど、ただただ圧倒されました。そんな動きさせちゃうんだって、ただびっくりしてました。
 僕的なベストバウトは、やっぱ五関の初っぱなを務めた孔秀戦です。こんな強い孔秀見たことない。でももちろん、五関のどれも面白かったです。どうしてもワンパターンになりがちな5つの戦いをきっちり差別化してました。
 そう、孔秀と言えば、彼の口元の傷跡がなんかかっこよくて印象的だったんですけど、あれメイクじゃなくてホンモノなんだそうです。孔秀を演じたアンディ・オンがかつて「三国之見龍卸甲」に訒芝役で出演したときに北伐で趙雲に従って曹操軍と戦ったときに、敵兵の大刀が直撃してできた傷なんですって。あのやたらワイルドだった訒芝と同じ俳優だったとは気づかなんだ。

 見どころのもうひとつは、関羽をとりまくキャラクターたち。献帝とか綺蘭とか普浄とか。
 ネットだと、「曹操張遼がカッコよくてよかった」とか、「曹操関羽のラブストーリーがよかった」とかって感想をよく見ますけど、僕は正直、曹操についてはそんなに響かなかった。『演義』のなかで曹操が一番よく描かれてるのがこの「五関斬六将」なんで、当然こうゆう曹操関羽の「義」の最大の理解者)になるでしょう。吉川英治も「恋の曹操」って言ってるし。だからあんま新鮮味はなかったです。逆に言えば、そうゆう『演義』をきっちり踏まえてるってことでもあります。
 それに、「レッドクリフ」や「三国志 three kingdoms」しかり、やっぱ今どき曹操をただの悪役にするってのは中国でも流行らないんだろうなって思います。

 それよか、僕がびっくりさせられたのは献帝のキャラクターでした。
 これ、観た人にすごい聞きたいんですけど、一体どの時点で献帝が黒幕だと気づきましたか?
 僕はまず、序盤で孔秀が関羽暗殺の勅命を受け取ったその時点で、もう混乱しました。献帝がそんなこと命じるはずないからこれは当然偽勅のはず。ということは曹操が黒幕か。でも原典を考えれば曹操が黒幕なんてのはやっぱあり得ない。
と思ったら中盤で曹操が容疑者から外されて。いよいよもって献帝が黒幕っぽそうな仄めかしがされて、でもやっぱり漢王朝関羽の命を狙うなんてシナリオはもっとあり得ないはずだから、献帝黒幕と思わせといてもう一段どんでん返しがあるはず・・・。
 ってな具合だったので、ラストでマジで黒幕は献帝と明かされたときは、そりゃもう度肝を抜かれました。最期までマジで気づかなかった。
 「曹操関羽の最大の理解者」、「漢と関羽は一体で不可分」という『演義』の大前提を利用した、絶妙なミスリードだったと思います。思いたい。 

 そんなわけで、とにかく僕は献帝の扱いに度肝を抜かれました。
  関羽「愚かな君主め!殺してやる!」
  曹操「約束する。天下を平定したら、私がこいつを殺す!」
 もう最初に観たときはひっくり返って爆笑しました。
 献帝の不遇は、たぶん上で書いたような脚本上のしかけのせいだと思いますけど、それでも本作に限らず最近の作品だと献帝の扱いはあんまよくないですよね。というか漢そのものの扱いが悪い。
 それは、漢の敵対者である曹操が人気なせいってのもあるでしょう。中国人は曹操を改革者として強調したがるから、どうしても献帝は旧弊にしがみつく、「封建的」な、ダサい暗君になりがちです。映画「曹操暗殺」がまさにそんな感じでしたね。
でもそういう相対的な理由だけじゃなくて、漢っていう言葉の説得力が落ちてるんだろうなって思います。漢と言えばそれだけで正義を意味した時代は昔のこと。漢室再興を唱えさせればそれだけで善玉になれた劉備が、今はもうそれだけじゃ通用しないですもんね。

 見どころの最後のひとつは、ドニー・イェン演じる関羽のキャラクターです。
 ドニー・イェンじゃ関羽にしては小柄だし、途中からトレードマークの髯もなくなるしで、ファンからの評判はあまりよくないみたいすけど。
 僕はビジュアル的なところは全然気にならなかったっすけど(とゆうか、髯がなくなることも気づかなかった)、
 ただ、この関羽は僕が知ってる中で一番強くない関羽でした。
 『演義』の関羽は、物語中でもっとも強い存在として設定されてます。もちろんそれは腕っぷしの強さなんてのじゃありません。関羽は「義」において一切のブレを見せず、どんな時も「義」を貫き続けます。そんな「義」を貫く姿は、「義を見て為さざるは勇なきなり」の言葉通り、強さを伴います。関羽は絶対に迷いません。「義」という絶対の価値観の体現者そのものだからです。
 でも本作は、関羽が迷い続ける物語です。自分が果たしたい義と、欲望と、あと民の平和との狭間で、自分がどうあるべきかと最期まで問い続け、しかも最期でも答えを出せてない。民のためとはいえ劉備を棄てようとするとか、惚れた綺蘭のために皇帝を殺そうとするとか、ちょっと関羽とは思えないです。
 それに、周囲のキャラクターがみんな関羽につらくあたるのが面白いと思いました。バカな献帝はもちろんのこと、義兄弟の韓福や、関羽に命を救われた秦蒅もが関羽と敵対する。仁徳篤い王植すらも関羽の義を信じない。綺蘭は関羽を誘惑してその道を阻もうとする。滎陽の民は関羽に石を投げつける。おそらく劉備も、関羽を信じ切ってはいない。
 しかし関羽と対立する彼らは、決して悪い人たちじゃありません。これが『演義』だと、善人=関羽の味方、悪人=関羽の敵っていうすごく単純な構図になるんですけど、それは『演義』が生前の関羽をも「すべての善人に慕われる神」として描き出すためです。でも本作の関羽はまだ神になる前の、生身の人間です。
 実際、監督はDVD特典のインタビューで、「第一に考えたのは関羽のイメージを壊すこと」「関羽という人間の迷いや苦悩にも注目してほしい」って言ってます。現代のエンターテイメントとして面白さと深みを与えるために、関羽の孤独と苦しみと弱さはきっと不可欠だったのでしょう。関羽は神の座から降ろされたわけです。
 それでも、本作を観ている限りではそんな関羽のキャラクターにもあんま違和感を覚えませんでした。たとえ『演義』の関羽とは全然違っていても、少なくとも作中での関羽像にブレがなかったからだと思います。それはつまり、『演義関羽から非常に丹念に神様要素を抜いていたってことです。「義」を貫き通す強さ、万人からの無条件の思慕、劉備との絶対の信頼関係などなど、関羽を神たらしめている要素をひとつひとつ丁寧につぶしてました。つぶしのこしがないからキャラクターにちぐはぐさがない。かと言ってやりすぎちゃって関羽関羽らしさまでつぶしたら、それはただのドニ―・イェンが映るだけの映画になっちゃう。その線引きもうまいと思いました。
 関羽という扱いづらい神さまをアクション映画にお招きするにあたって難儀な交渉を重ねたんだろうなっていうのを窺わせる、そんな映画でした。