三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

『三国志研究』13号に論文と書評を書きました

 とてもとても久しぶりに、吉川英治三国志』について書いた。
 今年の『三国志研究』13号に載っけてもらった、「大衆と伍す英雄 ―吉川英治三国志』における諸葛亮像の形象」という論文です。
 諸葛亮は、『吉川三国志』のなかでは曹操に並んで、いや曹操以上にスポットを当てられた英雄だった。
 そんな諸葛亮に対し、作者の吉川英治はどんな風に考えていたのか、諸葛亮という人物のどのあたりにその英雄たる所以を見ていたのかを、今回のテーマとした。
 『吉川三国志』は基本的に『三国志演義』そのままだって言われてて、僕も大体その通りだと思うけれど、それでも吉川英治のオリジナリティが見え隠れするところがないわけでは決してない。
 『吉川三国志』が語る諸葛亮の姿には、そんな吉川英治のオリジナリティが少なからず込められているように僕には思えた。しかもそれは、今の日本での典型的な諸葛亮のキャラクターと通じるものがあるんじゃないかとも思う。この諸葛亮論を通して、改めて『吉川三国志』が現代三国志の先駆けと呼ばれる所以を探ってみたい。そんなことを目指して書いた論文です。
 とは言っても、もちろん僕は文学研究の専門的訓練をしてこなかった人間なので、ちゃんと書けているかどうかは全然わからない。自分なりには、結構しっかりやったなという気ではいるんだけど。どうか、笑って読んでください。 


 これともうひとつ、今回の号では仙石知子先生の『毛宗崗批評『三國志演義』の研究』という研究書の書評も載せていただいた。
 ひとつの号に2本も載っけるなんてずいぶん生意気なことだし、そもそも僕なんかがこの本の書評を書くってのも大概に生意気なことである。
 書評というのは、その研究を批評し、当該分野の研究史にどう位置づくかを論じるものであって、書評それ自体がひとつの研究行為となる。
 だから当然、この本の書評は『三国志演義』の専門家が書くべきであって、僕のようなファンがやることではまったくない。レビューとか読書感想文とかとは違うのだ。でも、偉い人からやっていいよと言われたので、言葉に甘えてやってしまった(もちろん僕からやらせてくださいなんて言えるわけがない)。それにちゃんとした書評はいずれ専門の先生が書くはずだし、たぶん大丈夫だと思う。
 仙石先生の研究は、僕が『三国志演義』を好きになったきっかけ、というか文学研究というもの自体に最初に触れた研究であったので、すごく思い入れがある。『吉川三国志』で論文を書いてみたいと思ったのだって、もちろん仙石さんからの影響である。こいつは仙石さんのファンだから、と師匠によくからかわれる。
 だから、読書感想文になることを覚悟で書いてしまった。師匠の言葉を借りればファンレターとも言う。やっぱり、どうか笑って読んでください。
 でも仙石さんの本で、『三国志演義』を好きになる人が増えたら、それはとてもとても嬉しい。