諸葛亮はいつから東南の風を呼ばなくなったのだろうか
このあいだ『吉川三国志』の諸葛亮の論文を書いたとき、ひとつどうしてもわからないことがあった。
孔明は、それに対して、こういうことをいっている。
「むかし、若年の頃、異人に会うて、八門遁甲の天書で伝授されました。それには風伯雨師を祈る秘法が書いてある。もしいま都督が東南の風をおのぞみならば、わたくしが畢生の心血をそそいで、その天書に依って風を祈ってみますが――」と。
だが、これは孔明の心中に、べつな自信のあることだった。毎年冬十一月ともなれば、潮流と南国の気温の関係から、季節はずれな南風が吹いて、一日二日のあいだ冬を忘れることがある。その変調を後世の天文学語で貿易風という。
ところが、今年に限って、まだその貿易風がやってこない。孔明は長らく隆中に住んでいたので年々つぶさに気象に細心な注意を払っていた。一年といえどもまだそれのなかった年はなかった。――で、どうしても今年もやがて間近にその現象があるものと確信していたのである。
――『吉川三国志』巻の八「孔明・風を祈る(二)」
諸葛亮が赤壁の戦いで東南の風を呼ぶ「借東風」のことなのだけれど、この『吉川三国志』みたく、現代の作品ではほとんどの場合、「諸葛亮は風を"呼んだ"のではなく、風が吹くことを"読んで"いた」と説明される。柴田錬三郎、横山光輝、園田光慶、三好徹、李志清、北方謙三、諏訪緑......、むしろ「風を呼ぶ」作品をちょっと思い出せないくらいに、「風を読む」作品が圧倒的に多い。あまりに広まりすぎて、「諸葛亮が風を呼んだのはフィクションで、本当の史実では諸葛亮は風を読んだのだ」、なんて勘違いをされてしまうくらいに*1。
それで、この説明って一体誰が初めに言い出したんだろう?
よく『吉川三国志』が最初って言われることがあるけれど、僕はちょっとそれが疑問で、と言うのもこの説明が中国でも結構広まってるっぽいからだ。
たとえば、「レッドクリフ」のジョン・ウー監督なんかは、諸葛亮役の金城武から教えられて初めて、「諸葛亮が祈祷で風を呼んだ」ことを知ったとインタビューで答えている。それまでは、「風を予測する」以外の物語解釈があること自体を知らなかったのだ。実際、劇中でも諸葛亮は、土地で暮らした経験から風を予測したことになっている(でも金城武のアドバイスで、風を呼んでいるように見えるシーンもちょっとだけある)。
僕が持っている中国の連環画(1994年出版)でも、「諸葛亮は天文に精通しており、この時期に東南の風が起こることを測定した」と書いてるし、あるいは中国の民間伝承でも「風を読んだ」とする物語があるという(『三国志外伝』徳間書店)。
今の日本で「風を読む」解釈が広まってるのは間違いなく『吉川三国志』の影響だろうけど、でもさすがに中国のものにまで直接的にしろ間接的にしろ影響を与えたとはちょっと考えられない。きっと双方に共通するアイディアソースがあるはずだと思う。
でも、結構がんばって調べたんだけどこれがまったくわかんなくて、『吉川三国志』より古い時期の「風を読む」ものはひとつも見つけられなかった。結局論文では、「おそらくだが『吉川三国志』の独創ではない」とだけ書いてお茶を濁してしまった。
もし知ってる人がいたら、ぜひ教えてください。