三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

呉王問題・荊州牧問題

前のブログから掘ってきたネタです。

222年、呉王に封じられた人物がいる。
曹彪だ。
のちに太尉王凌に担がれて司馬氏に叛逆したことで有名。
呉王と言えばもちろん孫権孫権は221年11月に呉王に封じられたが、222年9〜10月には魏と交戦するにまで至った。
そのために曹丕は、同年3月に王に封じたばかりの曹彪を呉に国替えした。孫権は呉王を剥奪されてしまった。よって222年以降の孫権の呉王は自称だったのだろうか。
224年は曹丕が自ら兵を率いて寿春まで到ったが、結局撤退を余儀なくされた。その年のうちに曹彪は呉から寿春に国替えされた。

と、いう話でした。
また余談ですが、曹彪はこの後楚王に封じられます。それ以前には寿春に封じられること二度、そいでこの呉王。何気なく南方に定評ありますねこいつ。
ぼくの話はこれだけだったのですが、しかしそこへ『てぃーえすのワードパッド』さんが補足してくださったので面白くなります。

呉王と共に孫権に領荊州牧が認められ、孫権支配域が荊州となって魏の所領は郢州と改称された。

しかしおそらくは呉王剥奪と同じタイミングで郢州は廃止され、荊州となった。つまり、元の荊州も含めて孫権のものではなくなったという魏の意思表示なのであろう。

ほへー。郢州の名前はぼんやりと知っていましたが、そんな政治的意図があったんですねぇ。
これに前後する時期は曹仁や夏侯尚がこの方面を担っていますが、なんか州牧の所在がわかりづらいなぁと思ってたんですよ。そうかお前のせいだったのか。
一方で呉側では、荊郢合併後の荊州牧が陸遜なんですよ。孫権の呉王は剥奪されてたはず…とか関係なく、王様が州牧を任じられるもんですか?暦作れちゃう人なら州牧くらい楽勝ですか?
それについてはT_Sさんがコメント欄で解説してくださいました。なるほどなー。
しかしさすがは荊州です。
州長官の所在は領土問題に絡むのでとっても面白いです。
たとえば、呉蜀の盟約のために両国が魏領に仮置きしてた州牧を移動させたこととかあったじゃないですか。魏征服後の領土協定のやつ。
ええもう、そういうの聞くとワクワクしますね。